円楽の大江戸なんでも番付

円楽の大江戸なんでも番付

  • トップページ
  • バックナンバー

バックナンバー

ミステリーだね!江戸っ子たちの富士登山

「日本名所旧跡の番付」。江戸時代、史跡や絶景と称された山や川など日本全国の景勝地が東西160カ所ずらりと並んだいわゆる"日本の絶景番付"。西の大関・琵琶ノ海(琵琶湖)に続き、天橋立、宮島、東には松島、日光山など現在でも人気の景勝地が格付けされています。そして、堂々の東の大関には、世界文化遺産「富士山」。江戸っ子たちにとって富士山とはどのような存在だったのか?江戸時代の富士登山はどんなものだったのか?御師(おし)の家、富士吉田の金鳥居(かなどりい)、冨士浅間神社などを訪ね、江戸の富士山にまつわる不思議に迫ります。

<江戸っ子はなぜ富士山に魅了されたのか?>
徳川家康などの武将も愛した"富士山"は、江戸市中からよく見え、庶民にとっても憧れの的。江戸年中行事にも1月3日(旧暦)の「初富士」や6月1日(旧暦)の「お山開き」には、各地の浅間(せんげん)神社の祭礼で特別な縁起物を買って、一年の厄よけを祈念する等富士山ゆかりのものがありました。自然を愛(め)でた江戸っ子にとって富士山はありがたい存在だったのです。

<江戸時代のブーム・富士講とは?>
「一度でいいから、富士山に登ってみたい!」
そんな庶民の夢を実現させたのが、富士講。江戸時代流行した富士講の活動を今も続けている講がありました。代々受け継がれる掛け軸に記されていたものとは?
また、江戸時代、そして今も富士登頂を支える御師(おし)とは?代々伝わる「御師(おし)料理」とはどんなものなのか?

<鳥居に隠された秘密とは?>
数ある登山口でも多くの江戸っ子が向かったのが、"吉田口"。山梨県富士吉田市に残るシンボル「金鳥居(かなどりい)」に隠された秘密とは?さらに、登山門にたたずむ冨士浅間神社の権禰宜(ごんねぎ)が語る富士山の伝説とは?