円楽の大江戸なんでも番付

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越後屋 おぬしも稼ぐのぉ

今回は江戸後期・文化12年(1815年)の「江戸じまん番付」に注目。江戸で評判の商人の名前(屋号)がずらりと並んだ番付。五街道が整備され、商業都市として繁栄した江戸の、特に、日本橋のにぎわいが感じられる番付。東西の大関には"徳川五人衆"といわれた鹿島清兵衛と仙波太郎兵衛の豪商。小結には、「大丸屋」「鴻池屋」。そして、別格の勧進元には、日本橋で大評判の呉服店「越後屋」と「白木屋」が名を連ねる。彼らはどのように隆盛を極めたのか?その秘密をひもとくと、江戸っ子の生活と、今の商売に通じる巧みな戦略が見えてきました。

<アイディア商売で大繁盛!「越後屋」>
伊勢商人・三井高利が、江戸に「越後屋」を開業したのが、四代将軍家綱の頃、1673年。小さな店舗から始まった越後屋が、日本橋で大繁盛した理由とは… 思わず「なるほど!」とうなってしまいそうなアイディア商売の数々でした。
「越後屋」の帳簿や営業記録、日記などの史料が今も保管されている三井文庫を取材。そこに残されていた革新的な販売方法とは?カリスマ店員もいた?!独自の研修制度とは?雨の日こそが、絶好の宣伝日和?!一体どんな方法で宣伝したのか?貴重な史料に残された商売繁盛の秘密をひも解きます。

<堅実商売で大繁盛!「白木屋」>
同じく勧進元の「白木屋」も、「越後屋」とは違った方法で、江戸っ子の評判を得ていきました。
初代大村彦太郎が江戸で創業したのは、越後屋より少し前の1962年。煙管(きせる)や扇子等の小間物(こまもの)店として創業し、呉服店として発展していきました。江戸っ子達に信頼され、繁盛していった理由とは… 彦太郎の商業理念にありました。それを守るために作られた驚きの社内ルールとは?
お客様第一!白木屋のサービスとは?さまざまなエピソードとともに探ります。