円楽の大江戸なんでも番付

円楽の大江戸なんでも番付

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2時間スペシャル
千客万来!ようこそ日本橋へ

江戸後期の「江戸じまん番付」。江戸で評判の商人の名前(屋号)がずらりと並んでいます。商業都市として繁栄した江戸・日本橋界わいのにぎわいが感じられる番付。東西の大関には"徳川五人衆"といわれた鹿島清兵衛と仙波太郎兵衛の豪商。小結には、「大丸屋」「鴻池屋」。そして、勧進元には、日本橋で大評判の呉服店「越後屋」と「白木屋」が名を連ね、さらに、米店、酒店、紙店、そして、かつお節など庶民の生活に欠かせなかった商売もずらり。 彼らはどのように隆盛を極めたのか?その歴史をひも解くと、江戸っ子の生活と、今の商売に通じる巧みな戦略が見えてきました。

<江戸っ子のじまん!革新の「越後屋」と堅実の「白木屋」>
勧進元の「越後屋」と「白木屋」が、江戸に開業したのは、四代将軍家綱の頃。両店とも開業時は小さな店舗でしたが、江戸っ子達に評判となり、ともに大繁盛!しかし、大店(おおだな)へ繁栄したのは、全く違う手法でした。
商品、販売、宣伝方法、そして、店員の研修制度等革新的なアイディアで江戸っ子を魅了した「越後屋」。一方の「白木屋」は、堅実的な販売とサービス、そして、徹底したルールで江戸庶民の信頼を得ました。それぞれどんな方法だったのか?商売繁盛の秘密に迫ります。

<かつお節で商売繁盛>
和食が「無形文化遺産」に登録され、注目されている「だし」。かつお節で大評判だったのが、前頭「伊勢屋伊兵衛」・現在の「にんべん」です。関西で食されていたかつお節を、"ある方法"で、より香りと旨味を増し、にごらないだしを作りだすことが出来、"江戸の味のもと"となったそうです。江戸っ子の舌をうならせたのは、どんな方法だったのでしょうか?かつお節の歴史をひも解きながら、日本のだし文化に迫ります。

・伝統の酒造りで商売繁盛!豊島屋酒店
・和紙文化を伝え続けている江戸創業の「榛原(はいばら)等