円楽の大江戸なんでも番付

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天下御免!幕府ゆかりの寺・神社

今回は「神社仏閣番付」に注目。江戸時代に人気だった全国各地の寺と神社のランキング。
いわば、寺・神社のガイドブック。東の大関に伊勢神宮、西の大関には高野山。続く関脇には、日光東照宮、善光寺、小結には、東・西の両本願寺、宮島と今も人気の神社・仏閣がずらりと名を連ねています。江戸時代、庶民にとって、また、幕府にとって寺や神社はどんな存在だったのでしょうか?幕府とゆかりのある上野・寛永寺と東京の愛宕神社を訪れ、今につながる、知られざる歴史の一幕をひもときます。

<比叡山を江戸に築く…徳川家が開いた東叡山・寛永寺>
現在、美術館や動物園、博物館などで人々がにぎわう上野公園ですが、その一帯はかつて徳川幕府にとって特別な存在だった「寛永寺」の敷地でした。今回は、寛永寺の住職の案内で、上野公園周辺を巡り、はるかな歴史をひもといていきます。そこで見えてきたものは、創建時に天海大僧正が抱いた壮大な野望…。それは、比叡山を徹底的に模倣するというもの。名前は東の比叡山で東叡山、延暦寺と同じく、寛永年間から寛永寺と名付けられ、本堂や観音堂なども作られたのです。さらに庶民に人気の西の名所まで建ててしまうという念の入れようでした。さらに、寛永寺が彰義隊決戦の場になったのは、天海がもくろんだある人事のためだった?!それは一体なんだったのでしょう?

<幕府開府から終えんを見守り続けた愛宕神社>
東京都心・愛宕山に鎮座する愛宕神社は江戸幕府の開府と共に、徳川家康の命により創建されました。江戸で一番高い愛宕山にあった為、春は花見、冬は雪見、また月見や正月の初日の出など、庶民に人気だったと同時に、戦勝祈願の聖地として多くの武士の信仰も集めていました。江戸市中を見渡せる愛宕神社にまつわる、「桜田門外の変」、そして、「江戸開城」の秘話とは…?