新・にほん風景遺産~故郷を見つめなおそう~

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冬の飛騨高山 名将が愛した山あいの小京都
~司馬遼太郎「飛驒紀行」をゆく~

「街道をゆく」は、週刊誌の連載として1971年に始まり、著者の司馬遼太郎が亡くなる1996年まで、25年にわたり続いた大紀行。
辿った街道は、国内は北海道から沖縄まで、そしてオランダやモンゴルなどの海外へ及び、日本民族と文化の源流を探り、風土と人々の暮らしのかかわりを訪ねました。

今回は「街道をゆく 飛騨紀行」の足跡を辿り、岐阜県の下呂温泉から飛騨高山、越中国(富山県)との国ざかい神岡町茂住まで旅します。

飛騨川の流域に湧く下呂温泉は、徳川家康から四代の将軍に仕えた儒学者・林羅山により、有馬温泉・草津温泉と並ぶ「日本三名泉のひとつ」と称された天下の名泉。
司馬遼太郎が訪れた昭和6年創業の温泉宿・湯の島館は、 温泉街を眼下に望む敷地五万坪の山中に佇む木造3階建ての古格の宿。離れ「春慶荘」は、欄間や柱、障子の桟にいたるまでことごとく柿色の春慶塗で統一された飛騨の名工の技術が光る名室です。
下呂温泉では、おさえられた華やぎに日本文化を感じ、川原の露天風呂で一日の疲れを癒します。

旅は飛騨街道を北上し、飛騨高山へ。
岐阜県北部にある高山市は、江戸時代以来の城下町・商家町の姿が残り「飛騨の小京都」と呼ばれています。
戦国から江戸時代前期にかけての約100年間この地を治めたのが金森氏。
飛騨高山藩初代藩主の長近は、築城と同時に、京の町並みを模して碁盤目状の町作りや寺社の建築を進めました。
武術も然ることながら茶の道にも精通した文化人の一面をもつ長近の影響で、高山が文化の薫り高い町となったこといわれています。
司馬遼太郎も訪れた飛騨一宮・水無神社の荘厳な建築美や400年続く一刀彫の技を堪能し、老舗の酒蔵や江戸幕府の御用商人だった豪商の邸宅で飛騨の心意気に出会います。

司馬遼太郎の足跡を辿り、飛騨を旅するのは、作家・島田雅彦。
飛騨の美学を形作った大名・金森氏の遺風に思いを馳せる2泊3日の旅です。