「晩鐘」「落ち穂拾い」「種まく人」。誰もが作品の名前を聞いただけで絵を思い浮かべることができる名作を描いた画家ジャン=フランソワ・ミレー。彼が描き続けたのはひたむきに働く貧しい農民の姿でした。しかし肖像画や都会人の憧れる風景画がもてはやされた時代に、彼の絵は高い評価を得られませんでした。
ミレーは1814年、フランスの片田舎の農家に生まれました。敬虔なカトリック教徒の祖母の影響でミレー自身も篤い信仰心を持つ子どもとして育ち、絵が上手だったことから農家を継ぐのではなく、画家への道を歩み出しました。
23歳からミレーはパリで画家としてなんとか生計を立てていましたが、描くのは肖像画か裸婦像ばかり。当時の画家の登竜門である国主催の展覧会、サロンへも出品はするものの、評価は一向に上がりませんでした。最初の妻は貧困の中で亡くし、2人めの妻とは子どもに恵まれたものの生活は苦しいままでした。
そんな彼を変えたのが働く農民を描いてみたことでした。サロンにも出展され、好評を得ました。これを機に彼は額に汗して働く人を描くことを心に決めました。さらに、友人の画家の誘いで訪れたバルビゾンの村の風景がミレーを変えました。魅了された彼はこの村に移り住み、貧しい農民の姿を描き続ける決意をしました。そこにこそ生きる真実があると確信し、彼はそこに美しさを見いだしたのです。
苦しい生活でありながら、それこそ自分の道という信念を貫き通したミレーの反骨の生涯を、数々の名作とともに紹介していきます。