にっぽん今昔道 江原啓之のちょっと道草
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ストーリー

福岡県・「誠実に生きる福岡県小倉」




今回は福岡県の「小倉」で道草です。
小倉は1602年に築城された小倉城をシンボルとする、豊前(ぶぜん)小倉藩の城下町。明治時代には廃藩置県により豊前一体の小倉県が誕生しました。福岡県に併合された後も九州の門戸として経済・文化の中心地として発展した町です。

「郷に入れば郷に従え」と江原がまずやって来たのは、小倉にある「到津八幡神社(いとうづはちまんじんじゃ)」。なかなか読めない神社の名前ですが、その由来を伺ってみると…こちらに祀られている神功皇后(じんぐうこうごう)がこの地に舟で到着したことから「到る(いたる)津」として「到津(いとうづ)」となったそうです。
また神功皇后が安産の神として信仰されている事から妊婦さんなどが数多く訪れており、その昔は安産を祈り社前の川の水を汲み産湯としたことから社前の川を産川(うぶがわ)と呼ぶそうです。古くから伝わる地域の伝承に納得の江原。

続いて、小倉の街中で道草する江原。レトロな雰囲気の路地に入っていくと、「小倉名物 焼きうどん」発祥のお店を発見!そこは昭和20年創業の「だるま堂」でした。
終戦直後、先代のご主人が焼きそばを作って商売しようとしたのですが、麺が手に入らなかったため乾しうどんを代用品として使ったことが「焼きうどん」の始まりだそうです。
ご主人と一緒に先代から受け継いだお店を、現在は73歳になる奥様の坂田チヨノさんが一人で切り盛りしています。店の中にはご主人が携わっていた芝居の写真が飾られており、役者をやっていたご主人を焼きうどんを作りながら支えていたのだそうです。好きなことに打ち込む亭主が飲みに行く時にお金をそっと持たせていたチヨノさん。「お金を持っていないのは主人の恥じゃなくて、それを持たせられない自分の恥」「かっこいいと思える主人だから支えられる」と言い切る…
それも全て焼きうどんに支えてもらった人生だと言うチヨノさんに感動する江原でした。

続いて向かったのは長崎街道の起点・常盤橋。長崎街道は、江戸幕府唯一の開港場長崎と小倉を結ぶ街道でした。そんな歴史ある道を散策する江原…風情ある建物を発見。手彫りの判子屋さん大正5年創業の深野至誠堂です。手彫り作業をしている2代目の職人・深野さんにお話を伺うと…社会人になった時や、結婚した時など人生の節目節目に印鑑は必要になってくるもの。サイン文化になって使用頻度が少なくなったけれど、「娘や孫の成人の記念に実印を彫ってください」と今でもオーダーメイドの手彫りハンコを求めるお客様がいるそうです。手彫りの判子の字は、ご主人の手書きのデザイン、自分の字に自信のない江原に「字とは上手、下手ではなく、その人の味や個性」気持ちがある字を書くことが大切なこと・・と言うご主人。
そんなご主人が忘れられないのは、先代でもあるお父様。とても勤勉だったそうで、今も先代が使っていた手彫りの道具や、作業場を大切にそのままで使っているといいます。「至誠堂」というお店の名前の通り、誠に至る、誠実な先代の思いがあふれるお店に感銘を受けた江原。
小倉には誠実に生きる家族の絆があると実感した道草でした。