スタッフノート
制作スタッフが、イタリア・須賀さんへの想いと、
番組がどのようにして作られたか、見どころなどを語ります。

今年の番組は、須賀敦子シリーズの最終話である。
2006年からはじまった、須賀敦子「イタリアへ・・静かなる魂の旅」シリーズ。第1話「トリエステの坂道」、第2話「アッシジのほとりに」に続く、第3話\ローマからナポリの果てに」である。各回2時間3話合計6時間のイタリア旅番組となった。

須賀さんは60歳から本格的執筆活動を始めた作家である。60歳の時の出版が受賞し、文壇の話題をさらった。随筆は繊細で、知性に満ちた文体で書かれ、イタリア人の日常的生活、文学への奥深い情愛が心に響く。日本では、あっという間に数多くの読者の共感を得た。数々の著作の執筆が続いた。イタリアでの29年歳からのおよそ13年(1958年9月~1971年8月)にわたる生活がその随筆の物語になった。ミラノでのおよそ5年半(1961年11月~1967年6月)にわたる夫との生活。共に働いたコルシア・デイ・セルヴィ書店の同志や友人たちとの日々、そして夫の死後、ひとりで旅したイタリアの町々のこと、それが須賀さんの思い出と日記と随筆になった。

須賀さんは、マルグリット・ユルスナールというフランスの作家の名作「ハドリアヌス帝の回想」に感動し、ハドリアヌス帝に関わるローマの遺跡を巡る。ローマの人気スポット、パンテオン、サンタンジェロ城、そして郊外のティヴォリにあるヴィラ・アドリアーナ。ローマの古代遺産と皇帝の別荘が、須賀さんの印象のまま、美しい姿を甦らせる。
パンテオン、それは紀元1世紀の皇帝ハドリアヌスが建立した。天井の円い穴から光が差し込み、大理石の床に光の円を描く。人々はその光の中に立つと、みな手を広げ、丸い光を浴びていた。須賀さんもその光にあこがれ、このパンテオンにくるたびに新しい思いに捉えられたという。その光が壁を伝って、床に到達する短い時間に須賀さんの見たような円い光の池になる姿を撮影された。

ヴィラ・アドリアーナは、ハドリアヌス帝が晩年を過ごした別荘で、今は廃墟に近い遺跡となっている。ハドリアヌス帝が世界に遠征したとき見た世界の最高の建造物に学び、自分の思うままに作り上げた別荘である。廃墟とは言え、円形のドームなど、独創的な設計を今に残す華麗な廃墟である。廃墟にあまり興味を持たなかった須賀さんもこの遺跡には心惹かれる。この名所へは、今たくさんのイタリアの歴史好き観光客や学生たちが訪れている。
文学や芸術を愛した賢帝ハドリアヌスが、晩年、この離宮で過去の日々を回顧した姿を須賀さんは想像した。古代彫刻に囲まれた池、浴場、養魚場が広大な別荘に散在し、鳥の声、野草と花にかこまれる。

ナポリは、須賀さんが小学生の時、ヨーロッパに旅した父親が送ってくれた黒白の絵葉書を思い出させる町だった。遠くにヴェスヴィオ火山を望む丘の上からのナポリ湾風景。そこには戦前から1本の松の木が生えている。それは父親が訪れた時も、須賀さんが訪れた時も、そのときと同じ位置に植え替えられ続けてそのままの姿を残す。須賀さんがナポリ大学で教鞭をとったときのナポリの下町。その喧騒が好きでなかった須賀さんも、やがて庶民的なナポリの町に愛着を持つようになる。

ナポリの近郊サレルノ半島にあるソレントは、夫ペッピーノと夏休みを過ごした町。今からおよそ43年前(1965年)に夫と「小さなウイーン」というペンションに泊まったという須賀さんの文を頼りに、ソレントの町を探した撮影隊は、ソレントの中心から2キロほど離れた小さな湾ピアノ・ディ・ソレントの丘の上に同じ名前で今もホテルを経営している「小さなウイーン」を見つける。同じホテルに泊まり、そこで過ごした須賀さん夫妻の夏休みの思い出を再現撮影する。

その夏休みの間、須賀さん夫妻はさらにサレルノ半島の付け根にある古都ペイストゥムに行く、そこにはイタリアで最も美しいと言われる古代ギリシャの神殿がある。大きな3つの神殿は今も崩壊しないままの姿を残す。須賀さんは夕方その神殿を見て、その荘厳さにうたれた。須賀さんの見た同じ時刻の夕景を狙い美しい夕陽を浴びた神殿を撮る。

こうした旅に加え、須賀さんが好きだったイタリアの料理も紹介する。ミラノの須賀さん行きつけのお店「アン・カティアーノ」のオッソ・ブッコ。ナポリで堪能したにちがいない地元の人気店のピザ。
ソレントの地中海料理、そしてペイストゥムの近郊で取れる水牛のモッツァレラチーズ。ソレントでは須賀さんの文章に出てくるサン・ピエトロという聖職者の名を持つまとう鯛も、須賀さんの文に書かれた通り、海辺で焼き魚にする。

最終話の最後の旅先は、敢えてイタリアを離れ、フランスの北東部、アルザスのコルマールへ行く。須賀さんにとって2度尋ねることになったこの小さな町は運命の町ともいえる。最初は夫と死に別れて4年あまりを経て、ヨーロッパと決別し、日本に帰ることを決意したときに寄った町。そして全く偶然に、須賀さんが60歳の後半に、はじめて自分が書きたいと思っていた小説を書こうと決意したその内容が、そのコルマールの出身だった尼僧オディールの話だったこと。その尼僧の死後、須賀さんはその故郷コルマールを訪れ、小説の執筆を開始する。しかし、その小説は未完のまま、須賀さんは69歳で病に倒れ、世を去る。番組は須賀さんの未完の思いがこもる、コルマールのぶどう畑を訪れ、「アルザスの曲がりくねった道」へのお墓参りのような旅を終わることになる。「アルザスの曲がりくねった道」は須賀さんの最初にして最後の小説だった。

今回の番組で、須賀さんの思い出を語ってくれたのは、須賀さんがはじめてローマに留学した時、家族ぐるみでお世話してくれた広瀬清子さん。当時ヴァチカン公使夫人で、今は世田谷に暮らしている。須賀さんの29歳から30歳にかけての学生時代のなつかしい思い出が語られる。いつも平たい底の靴を履いてローマ中を歩いていたというお話から須賀さんの姿が浮かんでくる。
もうひとりはカミッロ・デ・ピアツ神父。須賀さんの夫ペッピーノの結婚前からの同志で、コルシア書店の同僚である。神父はイタリアの最北端、スイスの入り口にあるティラーノでまだ聖職の活動をしている。須賀さんとペッピーノがティラーノをたずねてきて、そこからスイスのサンモリッツへ登る山岳鉄道べルニーナ鉄道をみんなで楽しんだ思い出を語る。
この二人の語り手は今89歳である。須賀さんを知る数少ない最後の方々であろう。
須賀さんの最後の言葉が印象的に番組で語られる。
「旅/生きること」・・・。

脚本・演出 重延 浩


須賀敦子さんのシリーズの最終話はローマのスペイン広場から始まります。
第一話はミラノを出発点に須賀さんが敬愛したウンベルト・サバの詩集を持って「トリエ
ステの坂道」へ。夫ペッピーノとの想い出の地を訪ねる旅。
第二話は須賀さんが若い頃過ごしたウンブリア地方へ。アッシジ、ペルージャなど須賀
さんの青春時代の心の軌跡を追う旅。
そして最終話は須賀さんの「再生」の物語。
夫ペッピーノの死を受け入れ、自分の人生を歩み始める旅。
ローマ、ミラノ、ナポリというイタリアの観光都市の古代の息吹を、須賀さんの目線で辿
り、 終着点はフランスのアルザス地方へ。

テレビエッセイという新しいジャンルに挑戦したこのシリーズは、須賀さんのファンだけ
でなく多くの方々から評判を呼んでいます。
BSデジタルならではの静かな時間が流れる120分。

名所や旧跡を訪ねる旅ではありません。
須賀敦子という人物の目線を通して、イタリアの風景を切り取ります。

劇的な何かとの遭遇があるわけでも、特別な風景があるわけでもありません。
でも、忘れなれない、日常の風景がそこにはきちんとあります。
そんな須賀さんの足跡が残る場所、そして須賀さんを知る人物を映し出し、彼女が好きだったイタリアを表現します。

イタリアの明るい人々、豊かな自然、美味しい食事、壮麗な街並み。
その奥に、イタリアを愛した須賀敦子さんの感じた、人間の愛の形を見たいと思います。

プロデューサー 有賀史英


原典著作 須賀敦子

朗読 原田知世

ヴィオラ演奏 今井信子

ナレーション 湯浅真由美

脚本・演出 重延 浩

撮影 伊藤菜穂子

制作プロデュース 三戸浩美

プロデュース 有賀 史英
         重延 浩
       
製作 BS朝日
    テレビマンユニオン