ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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6月17日(土)
ゲスト:黒柳徹子(女優)

ゲスト×インタビュアー
黒柳徹子(女優)×野際陽子(女優)

インタビュアー野際陽子が大親友・黒柳徹子をゲストに迎え2人の本音トークが繰り広げられた。
女優・黒柳徹子は1953年、NHKの専属女優1号としてテレビの世界に入り、以来多くの人気番組で活躍。
さらに、1981年に戦後最大のベストセラーとなった「窓ぎわのトットちゃん」を発表。
そして1884年にはアジア人初のユニセフ親善大使に任命され、世界の恵まれない子供たちとも触れ合ってきた。
テレビ創世記から今に至るまで、お茶の間に愛され続けるその強烈な個性は、
どんな人生を積み上げて培われてきたのか?親友・野際陽子が聞きだす、本当の黒柳徹子とは?

黒柳徹子の知られざるプライベートに踏み込むために、用意したインタビュー場所は、黒柳徹子いきつけのピザ店。
おススメの絶品ピザを頬張りながら、幼少期のことからNHK時代。そして「徹子の部屋」に、窓ぎわのトットちゃん…。
そして、残された人生の時間…。野際陽子が遠慮なく切り込んでいく。やがて黒柳徹子の心に刻まれた"人生の言葉"が見えてきた。

「窓ぎわのトットちゃん」に見えてきた黒柳徹子の原点…。
『私はLD(学習障碍児)だったかもしれない…』。小学生のころ授業中の態度が問題になり小学校を退学になった黒柳徹子。
幼い頃のエピソードの裏側に隠された黒柳の本音を野際陽子が炙り出す。

テレビ放送劇団の試験を受け、6000人の中から見事合格した黒柳。新人時代は目立ち過ぎだと注意され、
もう帰っていいと収録中に降板させられ悩む毎日だった。そんな黒柳にチャンスが到来。
NHKラジオ「ヤン坊ニン坊トン坊」でトン坊役のオーディションに合格。
その演出家に「あなたのその個性が欲しいから、直してはいけません」とアドバイスを受け、それが当たり役になった。
以来、お茶の間の人気者になっていった。
ともにおなじNHK出身の野際、テレビ創生期を知る二人だからこそ語れるテレビの歴史が明らかに!

1976年に放送が始まった「徹子の部屋」に19回の出演歴を持つ常連ゲストの野際。
気心知れた二人だからこそ語られる、「徹子の部屋」舞台裏とは?

そして、黒柳徹子から衝撃発言が…!
「結婚も諦めたわけではない」、そして、「今後、政治記者になりたい」…。
野際がこの発言の真意に迫った!

6月18日(日)
ゲスト:小堺一機(コメディアン)

ゲスト×インタビュアー
小堺一機(コメディアン)×舘野晴彦(編集者)

小堺の代名詞といえば、昨年惜しまれつつ終了したテレビ番組「ライオンのごきげんよう」。その司会者として30年もの間、多くの人々に愛されてきた。巧みなトークと司会術、それは一体どこから生まれてきたものなのか?
小堺の人間形成に大きな影響を与えたのは、幼少期。千葉県生まれの小堺だが、小学校低学年の時に、当時日本一の歓楽街と呼ばれていた浅草・六区に引っ越す。映画館、舞台、寄席…エンターテインメントがあふれる宝箱のような場所での日々は、今も小堺の記憶に鮮明に残っているという。
そして当時、両親からは「とにかく子ども扱いされなかった」のだとか。まるで漫談のような父と母の夫婦のやり取りを見て、小堺は会話の重要性を認識する。そして家族共通の映画の話題で、人の感情や気持ちを学んでいった。名作「ローマの休日」で知ったという、感情とは?
芸能界入りのきっかけは、当時大人気だった素人参加型番組「ぎんざNOW!」。その中の「しろうとコメディアン道場」で勝ち抜き、チャンピオンに輝いたのだ。出演するに至った意外な経緯、そして当時どのようにネタを作っていたかを、ものまねを交えて披露する。
そんな小堺には、忘れ得ぬ3人の恩人がいる。勝新太郎、堺正章、そして萩本欽一。この大スター3人からの学びは、今日に至るまで、自身の中で大きな影響を与えてきたという。勝新太郎の“演じること”に対するユニークな教え方。堺正章が見せた“タレントとしての所作”。そして、萩本欽一が伝え続けた“コメディー論”。数多くの金言ととっておきのエピソードとは?
今回のインタビューの最後には、番組が特別に用意したサイコロを使って、普段はあまり語らないプライベートを語ってもらう。果たして、どのようなサイコロの目が出て、何を語るのか?
ベビーフェースで、いつまでも少年のような小堺も、今や61歳。彼は、これから何を目指し、何をしようとしているのか? 素敵な話と巧みな話術がぎゅっと詰まった、笑いあり涙あり、抱腹絶倒の60分!