ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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5月13日(土)
ゲスト:ばんばひろふみ(フォークシンガー)

ゲスト×インタビュアー
ばんばひろふみ(フォークシンガー)×舘野晴彦(編集者)

1950年、京都生まれ。実家は祇園のお茶屋で、家では芸妓(げいこ)や舞妓(まいこ)を囲んで夜な夜な宴会が開かれていた。そんな少年時代の特殊な環境が、今のばんばを作り上げたという。小学2年生のころからバイオリンを習っていたが、中学の時、デビュー間もないビートルズの曲に出会ったばんばは衝撃を受ける。たちまちロックにのめり込み、「フォークは“軟弱”」なもの、と考えるように。
1968年、立命館大学に入学。しかし、学生運動の真っただ中だったため、学校が封鎖されてしまう。授業がないのをいいことに、ロックバンドの活動に明け暮れる日々…。しかし大学2年生の時、ある考えが浮かび、フォークへの転向を決意する。その時、ばんばの胸に去来した思いとは?
1971年、21歳の時、レコード会社が集めたメンバーとフォークグループ「バンバン」を結成。名前は、ばんばの愛称「ばんばん」が由来となった。地元・関西で本格的にプロ活動に入るも、4枚のシングルをリリースしても鳴かず飛ばず…。さらに、メンバーが相次いで脱退するという危機に見舞われ、結成わずか3年で「次に売れなければ解散」という窮地に立たされてしまう。そこでばんばは、当時、荒井由実として活動していた松任谷由実に自分たちの運命を託した。1975年、荒井由実作詞・作曲でリリースした「いちご白書をもう一度」がミリオンセラーの大ヒットを記録。松任谷との出会い、そして「いちご白書をもう一度」の誕生秘話とは? さらに、ソロになってからの大ヒット曲「SACHIKO」の制作舞台裏も語り尽くす。2014年には、杉田二郎・堀内孝雄・高山厳・因幡晃と新ユニット「ブラザーズ5」を結成。5人の平均年齢、なんと66歳! 年齢を感じさせないパワーで精力的にコンサート活動を行っている。
また、ばんばのもう1つの顔であるラジオのパーソナリティーについても。谷村新司とタッグを組んだ深夜ラジオ番組「セイ!ヤング」は、今も伝説のように語り継がれている。巧みな話術は今も健在。そのユニークな半生を、とことん語り尽くす!

5月14日(日)
ゲスト:土井善晴(料理研究家)

ゲスト×インタビュアー
土井善晴(料理研究家)×宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)

料理番組「おかずのクッキング」で長年にわたり司会を務め、著書である「一汁一菜でよいという提案」が、発行部数10万部を超え話題に。父は「おふくろの味」という言葉を世に広め、テレビ創世記から家庭料理の大切さをわかりやすい口調で伝えてきた家庭料理研究の第一人者、土井勝。そんな偉大な人物を父に持つ土井は、英才教育を受けたサラブレッド…と思われがちだが、その半生は意外なものだった。
料理の世界に飛び込んだのは20代になってから。料理人としては、かなり遅いスタートであるうえ、出発点は日本ではなく外国から。単身ヨーロッパへ渡り、世界の一流の現場で基礎を学び、帰国後は日本料理の名店で腕を磨いた。父と同じ料理の世界に生きながら、料理人としては全く別の道を歩んできた土井。そこからなぜ、父と同じ料理研究家という職業に就いたのか? 土井の半生をたどり、その理由を探っていく。
そして、話題の著書「一汁一菜でよいという提案」についても。白いご飯に、おかずも兼ねた具沢山のみそ汁、そして漬物。これを毎日食べれば良い、という考え方が、今なぜ多くの人々の共感を得ているのか。家庭料理に対する土井の考え方を聞いていくうちに、その答えが見えてくる。
さらに、父から受け継ぎ、現在も出演を続ける「おかずのクッキング」の裏話も。料理経験が少ない共演のアナウンサーについて、土井ならではの接し方も明かしてくれた。さらに、番組では、普段はなかなか見ることができない料理番組の裏側にも密着する。
今年60歳を迎え、人生はここからがスタートだという土井善晴。料理という枠を超え、人間の“幸せな生き方”とは何なのか? を考えさせられる1時間!