ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
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10月15日(土)ゲスト:六角精児 (俳優)
俳優・六角精児。
兵庫県で生まれ、小学1年生の時に神奈川県相模原に引っ越す。教育熱心な母に、六角はいつもしかられてばかり。あまりに母が怒るため、テストの点数を赤ペンでごまかし、ひどいものは土に埋めて見せないようにしていたという。反発心しかなかった六角少年だが、今は母に感謝しかないと語る。
その後、神奈川県厚木高校に進学し、演劇と出会う。演劇部に所属したのは、意外なことからだった。そのきっかけとは? 大学浪人中に、同じ演劇部の先輩に誘われて劇団の旗揚げに参加、本格的に芝居と向きあうことに。しかし、すぐに芝居をやりたいとは思わなかったという。当時の芝居への葛藤を語る。
私生活ではギャンブルにはまり、消費者金融や知人から借金を繰り返す。借金は1000万近くにまで達し、2週間生活費560円で過ごしたことも…。そんな波乱のギャンブル生活を、赤裸々に振り返る。
2000年、六角に転機が訪れる。それが、テレビドラマ「相棒」への出演だった。出演へのきかっけは「相棒」のプロデューサーが学生時代に六角の舞台を見て、その存在を覚えていたこと。しかし、ここで六角は、目立つ犯人役と端役という2つの役柄の選択を迫られる。シリーズ化するとレギュラー出演できるかもしれない、と考えて選んだのが、あの鑑識役だった。大ヒットドラマ「相棒」で六角も一躍有名となり、16年もの間、同じ役柄で出演し続けている。
さらに、2009年公開の「相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿」では、映画初主演を果たす。この時に感じた、主役と脇役の芝居の違いとは? 「芝居はエネルギーのキャッチボール」と六角ならではの芝居論を熱く語る。さらに、六角から見た水谷豊の存在感とは?
休みの日には鉄道の旅へ出かけ、缶ビールを片手に流れる景色を見るという。自ら「呑み鉄」(のみてつ)と称する旅の醍醐味とは? そして、町で出会った人々とのエピソードや忘れられない風景とは?
また、20年前からバンドを組み、定期的にライブを開催、自費でCDも制作している。今回、ギターを持参し、音楽についても深く語る。自ら作詞作曲を手掛けた「お父さんが嘘をついた」も熱唱!
芝居を諦めず、自分らしく演じ続けてきた六角精児。その波瀾万丈の半生と知られざる素顔に、編集者・石原正康が鋭く切り込む!
10月16日(日)ゲスト:小倉智昭 (キャスター)
キャスター・小倉智昭、69歳。
1947年、国内最大級の油田として栄えた秋田市で生まれる。 石油会社の技術者の父と看護師の母、そして姉の4人暮らし。明るく活発な少年だったが、小倉には悩みがあった。実は、小倉は満足に話ができないほどの吃音症だった。しかし、小倉少年の夢は“しゃべる仕事に就くこと”。なぜ、吃音症の小倉が“しゃべる仕事”に憧れを抱いたのか?
テレビ東京のアナウンサーになると、わずか1カ月で 競馬実況のアナウンサーに抜てきされる。普通、競馬の実況ができるまでには、3年はかかるといわれている厳しい世界。小倉は、ある方法で吃音を克服し、「競馬中継なら小倉」といわしめるほどになる。その方法とは?
29歳の時、小倉の運命を変える人物に出会う。「巨泉さんが拾ってくれなかったら、今の僕はいない」と語る小倉は、知る人ぞ知る大橋巨泉のまな弟子。小倉にとって当時の巨泉は、普通に話すことさえできないほどの雲の上の存在だった。そんな巨泉から声を掛けられ、大橋巨泉事務所に入ると、「世界まるごとHOWマッチ」のナレーションで一躍大ブレーク。しかし、その後小倉に試練が訪れる。フリーアナウンサーとして仕事の幅を広げようと意気込むも、現実は厳しく、仕事は競馬番組とたまに入るレポーター業だけ。いつしか借金が膨らみ、食事もままならないほどの極貧生活を送る。みじめな姿を尊敬する父親だけには見せられない…長い間、実家に帰ることができなかったという。ところが、32歳の大みそか、糖尿病を患った父親が無理をして、小倉のアパートにある物を届けてくれた。それは、一体何だったのか?
苦節7年、仕事のない極貧時代を乗り越え、ラジオやワイドショーのメイン司会として活躍を続けてきた小倉に、再び試練が襲い掛かる。今年5月、ぼうこうがんを公表、手術のため1週間の休業を余儀なくされたのだ。くしくも、その2カ月後に同じがんで師匠・大橋巨泉が他界。そんな小倉の現在の胸の内は? また、小倉流“がんとの向き合い方”とは?
インタビューの舞台は、府中にある東京競馬場。アナウンサー時代はもちろん、あの大橋巨泉からスカウトを受けた場所…そんな思い出深い地で、テレビ朝日スポーツコメンテーターの宮嶋泰子が、小倉智昭の半生をあぶり出していく!