ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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1月10日(土)ゲスト:武田鉄矢

映画「幸福の黄色いハンカチ」、ドラマ「3年B組金八先生」「101回目のプロポーズ」…。俳優としても異彩を放ち続けてきた武田鉄矢。そんな彼に世間が抱くイメージは、 三枚目の熱血漢…。しかし、その笑顔の裏側には知られざる人生模様があった。

今回、65歳となった武田鉄矢がインタビューで明かしたのは、葛藤の日々を送る中で 辿り着き実践する明るい〝終活〟のススメ。それは「人生を折り返す」という考え方。山の頂へと登りつめた誰もが直面する〝老い〟や〝病〟と向き合う技術を披露する。 同世代は元より、人生を送る全ての人へ向けた現代版「贈る言葉」。その熱き人生授業に、月刊「ゲーテ」編集長・舘野晴彦が真剣勝負で挑む。

インタビュー場所は東京・六本木。福岡出身の武田らしく、九州産の焼酎を専門に扱う隠れ家的バー。ほぼ初対面となる2人…。緊張した面持ちで待ち受ける舘野晴彦の前に武田は静かに現れた。

今回、舘野が、どうしても聞きたいと考えていたのは、65歳となった武田の人生訓。一回り年上の武田の言葉は、舘野にとって今後の人生の道標とも言えるモノとなった。

インタビューで武田が語り始めたのは「人生を折り返す」という自身が現在実践する 〝終活方法〟だった。それは〝老い〟を認め、それでもなお自分らしく最期まで生き抜くための技術。そこには50代を前に武田が出会った、ある言葉が存在していた。

さらに番組では、武田が常に持ち歩くカバンの中身を公開。新しいものに挑戦することが、より良い老後を送る最大のヒントだと語る武田。そこには毎日、辞書を片手に綴るという英語の「日記帳」など常に新しい自分で有ろうとする工夫が詰まっていた。それは同世代はもとより人生を歩むすべての人に向けられたメッセージ。

数々の名曲と共に歌手・俳優として頂点を極めた武田の、知られざる「裸の履歴書」を鋭く炙り出す。

1月11日(日)ゲスト:加藤登紀子

今年、歌手生活50周年を迎える加藤登紀子。インタビューが行われたのは、都内にある加藤登紀子の事務所。そこは、歌手人生50年の思い出がすべて詰まっているという場所。この場所で、50年の半生を掘り起こしていく。

加藤登紀子、その半生に影響を与えた二人の人物がいるという。一人は母、淑子さんだ。旧満州のハルビンで生まれた加藤登紀子を連れ、敗戦後、大変な苦労をして日本に帰国。洋裁の仕事で、子供たちを育て上げてきた。そんな母、淑子さんが、加藤登紀子に託した思いとは?。

そしてもう一人の人物。12年前に亡くなったご主人の藤本敏夫氏だ。安保闘争後の学生運動の旗手だった藤本氏は、その活動から実刑判決に。加藤登紀子は藤本氏と獄中結婚し周囲を驚かせた。藤本氏の死から12年。今だからこそわかった藤本氏の思いに、加藤登紀子が涙する。そして、藤本氏との出会いはたくさんの歌を産みだした。ヒット曲『ひとり寝の子守唄』『知床旅情』が出来上がった舞台裏とは?また、藤本氏との結婚生活において幾度となく訪れた別れの危機。加藤登紀子は、その別れすらも、歌に昇華させてきた。"別れがあるから歌がある"と語る加藤登紀子の曲作りに迫る。

苦労して育ててくれた母への感謝の気持ち。亡くなった夫がくれた、今だからわかる自分への愛。 71歳を迎えてなお精力的に歌い続ける加藤のエネルギーの源を、数々の名曲とともに紹介する。

そして映画「居酒屋兆治」で共演した、亡き高倉健さんへの思いに迫る。