いにしへ日和

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ストーリー

【山形】 直江兼続・米沢

関ヶ原の戦いで西軍に味方した上杉景勝は、徳川家康によって、会津から米沢への国替えと石高を1/4に減らされるという処罰を受ける。
この時、獅子奮迅の働きで上杉家存亡の危機を救ったのが、上杉家の家老、直江兼続であった。
兼続は3万を越える藩士を一人としてリストラすることなく、倹約につとめ、産業を興し、藩士の教育を奨励し、米沢の発展に尽くした。
米沢の町の東側を流れる松川(最上川)。
ここには、大きな石を積んだ堤防がある。
川の氾濫から城下町を防ぐために兼続の指示で作られたという直江石堤である。
また、兼続は藩士の屋敷にウコギを植えることを奨励した。
トゲのあるウコギは、生け垣にすると防犯の役に立ち、飢饉の時には、非常食としても使われた。
ウゴギ料理は今も、米沢の郷土料理として、食されています。