昭和偉人伝
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村田英雄
日本の男を歌い上げた歌手 ~村田英雄~
「王将」、「人生劇場」など男の生きざまを力強く歌い上げ、一世を風靡した歌手、村田英雄。任侠映画では主題歌のほか、俳優として鶴田浩二や勝新太郎といった名優たちともわたりあった。そんな村田の時代には「哀愁列車」の三橋美智也、「お富さん」の春日八郎、そして「東京五輪音頭」の三波春夫といった戦後日本歌謡を飾った歌手たちがしのぎを削っていたのだ。村田英雄と同じ浪曲出身の三波春夫は、ライバルといわれていた。三波春夫が高度成長まっただ中「チャンチキおけさ」,「東京五輪音頭」などの曲で歌謡界で人気を博いてゆく中、村田英雄は,「人生劇場」,「無法松の一生」などの曲で懸命に働く人たちを力強く応援し、時には厳しく激励したのだ。
「ぼくは大衆に受け入れられた自分のリズムを守り、体に染みついた浪曲の波があったから幅広い演歌になった」そう話す村田英雄は5歳で浪曲を始め、13歳より浪曲師 酒井雲坊を名乗り全国を巡業した類まれなる人生遍歴があった。浪曲師として活躍中に歌謡界の重鎮、古賀政男に認められ、昭和33年「無法松の一生」で歌手デビューをはたす。それ以降、歌謡浪曲ともいえる「人生劇場」「王将」の大ヒットを放ち、演歌歌手としての揺るぎない地位を固めてゆくのだ。そんな村田は、後年日本の演歌の低迷を憂い、自身を演歌の中で燃焼されるべく執念を貫いた。「演歌がもう一度、脚光を浴びるまで、オレはやめん」そう力強く豪語していた村田は病魔とも闘かった。
日本の「男」の姿を歌で体現した村田英雄の人生とは何だったのか。彼の代表曲はもちろん、その時代の日本歌謡の変遷を合わせてひも解いてゆく。
学ぶべき世界がきっと見つかるだろう。