昭和偉人伝
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岩谷時子
日本の歌謡史に、ポップスの花を咲かせた作詞家・岩谷時子。女性作詞家の先駆者として、男性にはまねできない着眼と発想で、たおやかで洗練された作品世界を築いた。そして、伝説の歌姫・越路吹雪のマネジャーという、もうひとつの顔。幅広い創作活動と、愛するアーティストへの献身を両立させた、岩谷の心の深さに迫る。
●「和製ポップスの生みの親」 女性の視点でトップの作詞家に――いずみたく、宮川泰らとともに成し遂げた、大ヒットの秘密とは?(「恋のバカンス」「夜明けのうた」「恋の季節」など)
●「愛と勇気の若大将」 加山雄三との出会い――大スターの加山雄三が、作曲家・弾厚作として大成するために、岩谷が果たした役割とは?(「君といつまでも」「お嫁においで」など)
●「貧しくも愛ある家庭から宝塚へ」 岩谷時子を育んだもの――両親に愛されて育った岩谷が、感性を磨いてきた道のりをたどる。やがて、宝塚の編集部で「原石」のような少女に出会う。
●「本業はマネージャーです」 伝説の歌姫・越路吹雪――トップスターの越路が上京する際、宝塚幹部からお付きを命じられた岩谷。越路のためにシャンソンを翻訳したことが、千数百曲に及ぶ「作詞業」のスタートだった。(「愛の讃歌」「ろくでなし」「サン・トワ・マミー」など)
●「命を支えたボイスメッセージ」 悲劇の歌姫・本田美奈子. ――越路亡き後、初めて「愛の讃歌」の封印を解かせた本田美奈子。数奇な運命の糸で結ばれた2人は、同じ病院で励まし合いながら、命の危機と闘う戦友となった(「ミス・サイゴン」「アメイジング・グレイス」など)
歌の中でたくさんの恋をした、と語った岩谷時子。その生きざまは、後の女性アーティストや多くの日本人に影響を与えた。思い出深い名曲とともに、愛と優しさにあふれた岩谷時子の作詞家人生をたどる。