昭和偉人伝
バックナンバー
星野哲郎
© 撮影:荒牧万佐行
「函館の女」(北島三郎)、「三百六十五歩のマーチ」(水前寺清子)、「アンコ椿は恋の花」(都はるみ)など、誰もが口ずさむ名曲を生み出した、戦後歌謡界を代表する作詞家・星野哲郎。手がけた歌詞はおよそ3000曲。そのどれもが昭和の時代を彩るヒット作となった。
「兄弟船」(鳥羽一郎)、「女の港」(大月みやこ)、「みだれ髪」(美空ひばり)など、海をテーマにした歌も数多い。そこには「海にあこがれ、海に捨てられた」と語る少年時代の夢と挫折の物語が…。病に侵された体ゆえに挑んだ作詞家という新たな航路。その人生の羅針盤となったのは、石本美由紀(作詞家)、船村徹(作曲家)といった先達たちであった。そして、才能豊かな歌い手たちとの出会いも。星野が自身の救世主だという歌手こそが、サブちゃんこと北島三郎だ。「なみだ船」で北島が一躍スターの座に躍り出たことで走り出した星野の演歌人生。出会いはさらに“チータ”の愛称で親しまれることとなった水前寺清子をはじめ都はるみなど、多くの歌手へとつながってゆく。
「詞の命は出だしの2行にある」という星野。そこで人の心をとらえ、「いい歌だなあ」と思ってもらうため、苦労を重ねた星野流の作詞法。そこには単に天才ではない、彼の努力と工夫があった。「しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね」。昭和43年のヒット曲「三百六十五歩のマーチ」。水前寺清子の代表作となったこの曲の歌詞には、星野の信条が一番詰まっているという。
日本の心をつづって50年。昭和歌謡の黄金時代を彩った名曲のふるさとを、星野の足跡とともにたどる2時間スペシャル。