ひづめロマン ~馬でめぐる街道の旅~

ひづめロマン ~馬でめぐる街道の旅~

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真田街道とは真田氏が統治した地を結ぶ街道の通称で、
群馬県から長野県を通る、現在の国道144号、145号、120号にあたる場所。
旅のスタート地点は江戸時代の街道を思わせる雰囲気を持つ『柳町』から!

①「柳町」
かつて北国街道の要所として栄えた柳町は、格子造りの平入りの建物が多い。
北国街道は参勤交代の大名(加賀百万石など)や佐渡金山の金の通路として賑わっていた。
そんな柳町を案内してくれるのは、上田市教育委員会 文化振興課の和根崎剛さん。

【縁結び水かけ地蔵と水琴窟】
お地蔵様に水を掛けると、その身体を清めた水が地中に適となって落ち、
縁を結ぶ始まりを告げる美しい音色が聞こえてくるという。

【岡崎酒造】
1665年創業の老舗酒造。甘酒や梅甘露を試食。

【武田味噌 菱屋】
昭和5年創業の味噌の老舗。シャワー浸水という方法で水分中に流れ出た大豆の旨味成分を循環させることにより、成分が強く残った味噌が仕込める。
オリジナルの味噌せんべい・味噌汁を試食。

【保命水】
14年に海禅寺(上田城の鬼門避け寺)の湧水を引いた保命水は、大正後期まで市民の飲用水として使用されていた。
現在もコンコンとして湧きでていて、長寿の水としてお茶などに利用されている。

【そば おお西】
長野県内屈指のそば処として有名。店主が開発した「発芽そば」はそばの実を発芽させ、
搗き臼と店主考案の手打ち法によって、そばに仕上げるここでしか食べれないオリジナルそば。発芽期に発生する糖化酵素による甘みの増加、餅のような食感、独特のぬめり、
従来のそばの概念が変わるといわれている。

②上田城跡公園
天正11年(1583)真田昌幸によって築城された上田城は、
第一次・第二次上田合戦で徳川軍を2度撃退した難攻不落の城としても知られている。

【真田石】
真田信之が、松代移封の際に父の形見として持ち去ろうとしたが、不動であったとの伝説を持つ直径3メートルの大石。

【真田神社】
歴代の上田城主(真田氏・仙石氏・松平氏)を御祭神として上田城本丸跡に鎮座する眞田神社。戦国時代を生き抜いた真田昌幸・信之・信繁(幸村)の知恵や勝運にあやかろうと御守護符や合格祈願のお守りを求める観光客に人気のスポットで旅の成功を祈願。

【真田井戸】
本丸唯一の井戸で、直径2m、深さは16.5mに達する。
井戸には抜け穴があり、城北の太郎山麓の砦や上田藩主居館に通じていたという伝説がある。

【西櫓】
尼ヶ淵の河岸段丘上に築かれた本丸隅櫓。
外壁は板張りで、その上から軒の部分までを塗籠としている。初期城郭建築の様式。
格子窓に突き上げ戸がついた「武者窓」や、矢や鉄砲を放つための小窓「矢狭間」「鉄砲狭間」も設けられている。

③千曲川

【鯉西つけば】
「つけば漁」は徳川時代から始められた長い伝統ある漁。
そして最も盛んにつけば漁が行われていた川魚が豊富な千曲川には「つけば小屋」が多く点在しウグイや鮎、鯉など新鮮な魚と四季の山菜とつけば料理が食べられる。
歴史アイドル・小日向えりが千曲川の歴史と真田街道について紹介。

④別所温泉
別所温泉は共同浴場を中心に栄えた温泉街で信州最古の温泉。
戦国時代、真田一族や家臣がここで英気を養い、傷を癒したと言われている。

【石湯】
別所温泉は外湯を中心に栄え、現在も3つの共同浴場の一つで、
大河小説「真田太平記」にしばしば登場し幸村とお江が結ばれた場所としても有名。
石碑からは温泉水が出ていて飲むことができる。

【北向観音】
平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場。
そして本堂右手に、びんずる尊者像(撫で仏)が安置されていて、
自分の体の悪いところを撫でながら願をかけると、悪いところが治ると言われている。

⑤トウモロコシ畑

大久保昌則さん夫婦と大久保さんの弟が育てるとうもろこし味来(みらい)は別名ミラクルスイートコーンとも呼ばれ生でも食べることができその糖度は18~20度とフルーツのように甘いとうもろこし。とうもろこしの収穫・試食を行う。

⑥角間温泉 岩屋館

真田幸村が狩の際に喉を潤し、あまりの美味さに茶立ての水に使われた「一っぱい清水」や猿飛佐助が渓谷の大岩を猿のごとく飛び移って、早業の修行をしたといわれる「猿飛岩」など岩屋館の周りには真田に関する場所が数多く点在。
そんな岩屋館では角間渓谷の湧き水「真田の銘水」を試飲・さらには温泉に入浴し地元の料理に舌鼓を打つ。