SUZUKI presents「極上空間」小さなクルマ、大きな未来。
ストーリー
11月2日(土)
第133回ゲスト:天龍源一郎×玉袋筋太郎
今回のゲストは…プロレスラーの天龍源一郎さんと、お笑いタレントの玉袋筋太郎さん。プロレス雑誌の対談で出会って1年程だそうですが、お互いを「玉ちゃん」「天龍さん」と呼び合い、長年の仲のよう。玉袋さんが若き日に修業したフランス座で思い出に浸り…最後は天龍さんオススメの絶品お寿司を堪能しました☆
今年、格闘家人生50年を迎えた天龍さん。13歳で福井県から上京し、名横綱:大鵬が所属する二所ノ関部屋に入門します。「田舎でちょっと背がでかいと目につくじゃないですか。小さくなって目立たないように歩く癖が付いていたのが、相撲部屋に入った時に、大鵬さんに『あんちゃん大きいな。将来有望だな』って言われて、体が大きい方がいいんだと思って、胸を張って歩くようになった」。また、ホームシックにもなったそうで「入った時は(部屋の)屋上に行って田舎の方を見ながら、おふくろとか親父のことを思い出して泣いていましたよ」という天龍少年の秘話も!そして、大鵬さんの付き人もされたそうで「物事の小さな事にこだわらなくて、凄く優しく、新弟子にも全ての人に(同じように)接していました。大鵬さんから『この野郎っ』て殴られたとか、どやしつけられた覚えは1回も無い」など、大鵬さんとのエピソードも語られました。そして、幕内に入り、前頭筆頭となっていた13年目に、プロレスに転向。「赤坂のキャピタルホテルで馬場さんがクルマから降りて、「お疲れです」って言ったら「おう」ってニタッと笑ったんです。いい人だなと思って、その時プロレス行こうって思ったんです。信頼に足りるニコッとした顔だったんだよね」と、驚きの転向理由が…。また、ご両親は大反対したそうですが、馬場さんが福井まで説得しに行った話など、馬場さん秘話も止まりません! そして、「俺は、その時小学生で、天龍が相撲からプロレスに来る!と見ていたんですよ」と言う玉袋さんは、高校生の時の漫才ブームで、ビートたけしに憧れ、追っかけを開始。「当時ラジオ局の外には弟子志願者が100人~200人居て、殿が出て来ると、皆"弟子にしてください"って土下座していた」そうで、そこで玉袋さんは「そこに居たら埋もれてしまうので、行きつけの焼肉屋さんの前で待ち伏せするようにした」とか。通ううちに顔を覚えられた玉袋さんですが高校卒業後の就職が内定します。しかし、「師匠が、そこを3か月で辞めて俺の所に来いと言ってくださって」と、念願の弟子入りをしますが…「7年間口利いてくれなかった」とか。そして、「ある時、楽屋で『誰かフランス座行く奴いるか?』って師匠に言われたんですよ。僕と博士行きたかったんで、行きますって言っちゃって。『じゃあ土曜日行ってこいよ。向こうの奴には話しつけとくから』って」とストリップ劇場:フランス座での修業が始まったそう。その初日にたけしさんがわざわざ来てくれたそうで…「来たか。『ここで3年間くらい頑張れよ。3年頑張れば芸人の臭いがつくからよ』って、カッコ良かったですね~あの時の師匠」と、たけしさんとの思い出話は止まりません。
「すごい人に付いていられたのは財産」と声を揃えるお二人が語る、偉人たちのエピソードは聞き応えあります☆
天龍源一郎(てんりゅう げんいちろう)さん
1950年2月2日生まれ 福井県出身
1963年12月、13歳で大相撲の二所ノ関部屋に入門。1973年1月場所から「天龍」の四股名で16場所在位し、西前頭筆頭まで上り詰める。1976年9月場所、東前頭13枚目で8勝7敗で勝ち越したのを最後に廃業。同年10月、26歳の時、プロレスへの転向を表明し、全日本プロレスに入団。11月13日には髷をつけたまま、米・テキサス州ヘレフォードにて〈テッド・デビアス戦〉でデビュー。1987年6月、全日マット活性化のための意識革命を宣言し、阿修羅・原とレボリューションを旗印に天龍同盟を結成。1989年6月には日本武道館でジャンボ鶴田を破り三冠統一ヘビー級王座を獲得。同年11月タッグ対決ながらジャイアント馬場からのピンフォールを奪うなど、常に全日マットの先頭を走り続けた。1992年7月にWARを旗揚げ。1994年1月、東京ドームでアントニオ猪木からピンフォールを奪った。馬場、猪木の双方からピンフォール勝ちしたことのある唯一の日本人レスラーに。
63歳となった今でも現役レスラーとして活躍中。
玉袋筋太郎(たまぶくろ すじたろう)さん
1967年6月22日生まれ 東京都出身
1986年、高校卒業後ビートたけしに弟子入り。1987年に水道橋博士と「浅草キッド」を結成、漫才師として活動しながら、バラエティ番組「スーパージョッキー」などをはじめ、たけし軍団の若手として活躍。
ストリップ劇場やスナックで鍛え上げられた漫才は評価が高く、ネタ番組での受賞歴も多数。その他、スナックの愛好家として一般社団法人「全日本スナック連盟」を設立。2012年に東京都檜原村の観光親善大使に就任。
現在もコンビとしての活動以外に、クイズ番組や情報番組などでは知的な面を披露するなど個々でも数多くの番組で活躍中。
浅草フランス座演芸場 東洋館 住所:東京都台東区浅草1-43-12 |
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鮨處 おざわ(支店) 住所:東京都中央区銀座8-5-9 |
大人の男性二人のドライブにふさわしく、最後の立ち寄り先は、銀座のお寿司屋さん。
天龍さんと30年以上のお付き合いだという大将が快く撮影を受けてくださり、玉袋さんも「銀座で寿司なんて!」と大興奮♪
頂いた【バラちらし】には、何と、金箔が!!更に興奮する玉袋さん(笑)。そして、撮影が終了すると、大将がお二人に、旬の食材を握って下さり、唸りっぱなしの玉袋さんを、ニコニコと見つめる天竜さんでした(^^)
そして…「よし!俺も銀座で行きつけの寿司屋を持てるように、いっぱい仕事しよう!」と決意も新たに帰途につかれました☆
裏話担当:プロデューサーK
天龍:玉ちゃん運転だから、よろしくお願いしますね。
玉袋:緊張しますよ、天龍さん乗せて運転するの。
と、今回はプロレスをこよなく愛する玉袋筋太郎さんの運転で、現役レスラー・天龍源一郎さんを助手席に乗せ、都内を巡るドライブ!
天龍さんは、ご家族でドライブする事も多いそうですが・・・
天龍:大した話はしないんだけどね。うちが良くやるのは、
「あいうえお」から始まって、「あ」のつくレスラーは誰?とかね。俺と女房と娘と3人で。
玉袋:面白い!
と、レスラー家族ならではのエピソードが(笑)
そして、玉袋さんは・・・
玉袋:かみさんと物凄い大喧嘩して、「よしじゃあ離婚だ!区役所行くぞ」って、2人で。
(クルマの中は)嫌な空間だったんですよ。
その時に、ラジオから毒蝮三太夫さんの中継が流れていたんですよ。
2人ムッとしているんですけど、蝮さんの中継があまりにも面白くて、ゲラゲラ笑って。
そうしたらなんか、急にバカバカしいなって言って…。
蝮さんも恩人だし、クルマも恩人だな!
と、こちらも玉袋さんらしい(^^;)ドライブエピソードを披露してくださいました☆
そして、今回のクルマ「ソリオ・バンディットについて・・・
天龍:これね。中に入って、広いのにびっくりしました。
で、クッションもそんなに硬くないしね。
玉袋:フロントガラスも広いし、運転しやすいですよ。
大の男が2人乗ったって大丈夫なんだから。
天龍:天井も余裕あるしね。パワーどうなんですか?
玉袋:パワーもついてきます。全然。燃費もいい。
天龍:燃費が大事だよね。
と、大きいお二人も快適に乗って頂けた様子でした!
目ヂカラが違う。ツラ構えが違う。この顔に、クラっときたら。 |