SUZUKI presents「極上空間」小さなクルマ、大きな未来。
ストーリー
【2011年9月17日】 第22回ゲスト:広澤克実×熊切あさ美
「好きなことが職業になることは『幸せ』なこと…。」
広澤克実さんは、幼少の頃からON(王&長嶋)に憧れて、野球を続けてきた。初めて父親に連れてきてもらった後楽園球場(現・東京ドーム)でプロ野球観戦 した時、眩しかったカクテル光線がダイヤモンドを照らす中、背番号1と3を探し続けた。そんな広澤少年は、明大に進学すると、「日の丸」を付けロス五輪 (‘84)で最強アメリカとの決勝戦で決勝HRを放ち、金メダルを獲得!!
その後、ヤクルトにドラフト1位で入団するも「憧れの巨人軍」への夢は断ち切れず、FAで巨人へ!!
当時、「背番号80」という重い背番号だったが、自分の家でYGマークのユニフォームに袖を通して鏡を見ては、ニヤニヤしていた(笑)というエピソードを披露。
しかし、そこで待っていたのは、“地獄の5年間”だった…。「人間は、人生で何度かミスジャッジをするけど、俺の選んだ道はミスジャッジだった…辛すぎて 記憶にフタをしているくらいだ」と振り返り、この時、“巨人で野球人生の幕引きを考えた”と激白した。しかし、恩師であり、恩人でもある野村克也氏との巡 り合いで、再び「野村阪神」に拾われ、“輝き”を取り戻したのだ。
「人生はいってこい…悩みは限りなくあるけど自分が進んだ道がいい道なんだよ。」と車中でポロリとこぼすと、車中では、広澤さんを「兄」と慕う熊切あさ美さんが思わず涙を流した。
その他、明大時代の島岡監督との伝説エピソードや、プロ入団当時から“寅さん”と呼ばれていた所縁の地「柴又帝釈天」へ人生初ドライブ!
また、ヤクルトの選手寮も訪れ、サプライズゲストがお出迎え。爆笑秘話も暴露された。
広澤克実さん
1962年4月、栃木県生まれ。
明大時代にでロス五輪の日本代表に選ばれ、アメリカを破って金メダルを獲得。ヤクルト入団後1992年には野村ID野球の下、14年ぶりのリーグ優勝を果たす。1995年にはFA宣言で巨人に移籍して打率.240 20本塁打を残した。1997年にも22本塁打したものの、その後1999年に打率1割台という不振に陥った。2000年には巨人を自由契約になって、再び野村監督の下、阪神に移籍。ヒーローインタビューで六甲颪を熱唱するなど、持ち前の明るさで大阪に馴染み、その年、阪神の18年ぶりのリーグ優勝に貢献した。通算成績(実働19年):打率.275、306本塁打、985打点 1736安打 打点王2回、ベストナイン4回
熊切あさ美さん
1980年6月9日 生まれ。静岡県浜松市出身。
「平成のおニャン子クラブ」ともいうべきアイドルグループ『チェキッ娘』の初代メンバー。その後2006年志村けんの一座「志村魂」のメンバーに選ばれるが、「踊る!さんま御殿」で、自らを「崖っぷちアイドル」と称し、写真集の表紙でも崖にしがみつく姿でPR。「瀬戸際の必死さ」を武器に人気を博した。最近はCX月9ドラマ「全開ガール」にも出演。また、舞台「改訂版!!そして龍馬は殺された」のお竜役を務めるなど女優としても活躍中。プロ野球観戦が好きで、大の阪神ファンでもある。
柴又帝釈天
住所:東京都葛飾区柴又7丁目10−3 |
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川千家
住所:東京都葛飾区柴又7丁目6-16 |
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ヤクルトスワローズ 戸田寮 ※一般の方は入る事は出来ません。
住所:埼玉県戸田市美女木8-22-3 |
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彩湖・道満グリーンパーク 野球グラウンド場
住所:埼玉県戸田市大字重瀬745 |
明大時代から4番で史上2人目の2季連続首位打者を獲得、全日本ではロス五輪決勝戦でHRを打ち金メダルに貢献した広澤克実さん。 その後、ヤクルト→巨人→阪神と渡り、日本プロ野球史上、巨人と阪神の両方の球団で4番を打った唯一の選手である! そんな輝かしき略歴の広澤さんだが、野村克也監督との運命的な出会いや、巨人FAで叩かれた日々… しかしながら、実は昔から大の巨人ファンで「YGマーク」のユニフォームを着てはしゃいでいた日々… など「波瀾万丈の野球人生」を、阪神ファンで大阪の番組共演から仲良くなった熊切あさ美さんと車内で熱きトーク!! 人生でつまづいた瞬間…あなたはどうやって乗り越えますか?
裏話担当:プロデューサーK
快適さ、使い勝手、走り、低燃費とすべてを兼ね備えた新発想コンパクト。 |