CMや携帯電話の着メロなどで、誰もが耳にしたことがあるメロディ。
エリック・サティの音楽は、多くの日本人に愛され続けています。
心を癒す繊細なメロディはどのように生み出されたのでしょうか?
才能にあふれながら、貧困生活の中で、一生独身を貫いたサティ。
“早すぎた天才”と言われたサティの謎を追って、女優・成海璃子がフランスを訪ねました。
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エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(1866年~1925年)
フランスの作曲家。
「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」などと称されるが、西洋音楽の伝統に大きなくさびを打ち込んだ革新者とみなされている。印象主義の大作曲家たち、ドビュッシーもラヴェルも、その多くの作曲技法はサティによって学んだと公言している。西洋音楽史上、もっとも重要な人物の一人。
パリ音楽院在学中にピアノ小品「ジムノペディ」「グノシェンヌ」などを発表。芸術酒場「黒猫」に集う芸術家の一人となり、コクトーやピカソらと交流。同じメロディーを840回繰り返す手法を用いた「ヴァクサシオン」、現代の環境音楽の原点ともいうべき「家具の音楽」なども書いた。
また「官僚的なソナチネ」「犬のためぶよぶよとした前奏曲」「冷たい小品」「梨の形をした3つの小品」「干からびた胎児」といったように、作品に奇妙な題名をつけたことでも知られている。
私生活では音楽学校を喧嘩してやめるほど、気難しく人づきあいが苦手だった。
アパートに引きこもり宗教家を目指した時代もあったが、39歳で一念発起、音楽学校に入り作曲法の理論を学び直した。ジャン・コクトーやピカソとコラボレーションをした革新的な舞台「パラード」は、スキャンダルな事件とも言われた。享年60歳。
今回の旅では、エリック・サティの歴史を辿って、パリの色々な場所を歩きました。
パリは、美術館や博物館が沢山あり、本当に飽きない街です。
高校最後の夏にパリを旅することが出来てとても良い経験になりました。
私も小さい頃ピアノを習っていましたが、久しぶりにピアノが弾きたくなりました。