中国神秘紀行
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遥かなる万里の長城 歴史に秘められた謎を追う ~河北省~
2009年の国家文物局(歴史的遺跡や国宝などの管理を行なう中国政府機関)の調査で、その総延長が8851キロとされる世界最長の建造物。そして中国を代表する世界文化遺産。それが「万里の長城」です。
首都・北京を囲むように位置する河北省(かほくしょう)には、万里の長城が現在3000キロあまり残されています。今回の旅は、河北省の万里の長城を訪ねます。万里の長城には、実に様々な謎が隠されています。
まずは北京から北東150キロの距離にある「金山嶺長城(きんざんれいちょうじょう)」を訪れます。明の時代に作られた長城はその姿が最も美しいとされ、今や世界中から人々が訪れます。この金山嶺長城、実は外部からの敵の侵入を阻む軍事目的でつくられています。そこには、有利に戦いを進める工夫が施されていました。壁にいくつも開けられた穴、要塞のような建物、すべてが戦うために準備されたものでした。一体、どんな秘密があるのでしょう。
金山嶺長城から南東に向かうと、巨大な墓がある世界文化遺産「清東陵(しんとうりょう)」があります。ここには清王朝の5人の皇帝の墓がありますが、なぜか墓の周辺の長城が破壊されているのです。一体、なぜ長城は壊されたのでしょうか?皇帝の墓に潜入し、その謎に迫ります。
さらに東へ進むと、その名も長城村(ちょうじょうむら)と呼ばれる所があります。人口1000人ほどの村人の祖先は、万里の長城の建設にあたってきたといいます。村の入り口に石碑があり「知恥」と刻まれています。それは「恥を知る」という意味で、村人自身が近年刻んだもの。一体、どういう事なんでしょうか?長城村と万里の長城の深い関係を探ります。
万里の長城が海へとぶつかる東の端、そこが秦皇島(しんこうとう)です。紀元前215年に秦の始皇帝がこの地を訪れたことから、秦皇島という皇帝にちなんだ地名になったといいます。渤海(ぼっかい)に面するこの町の海岸に、海へ突き進む城郭のごとく健在するのが万里の長城です。いつも渤海の荒波にさらされる長城の石には、波による風化を防ぐ工夫が施されていました。その工夫は、500年前に考えだされた画期的なものでした。
万里の長城は、約2200年前の秦の時代から建造が始まったとされます。今、城壁としての役目は終えましたが、中国の文化や暮らしに大きな影響を与えているのです。
初回放送:2011年2月11日