世界の名画 ~素晴らしき美術紀行~

  • トップページ
  • バックナンバー

ストーリー

奇想の絵師 伊藤若冲
京都 彩色(いろどり)の旅

世界の名画 ~素晴らしき美術紀行~

18世紀後半、江戸で浮世絵が庶民の人気を集めていた頃、京都では全く異なる画風の絵師が活躍していました。写実的でありながら幻想的な雰囲気も醸し出す独創的な作品を数多く描いた伊藤若冲。「奇想の画家」と呼ばれた若冲は、いかにして独自の画風を生み出したのか?若冲が生きた京都を旅し、その謎に迫ります。
1716年、京都・錦市場で青物問屋を営む家に生まれた若冲。裕福な家庭で何不自由なく育った若冲は、趣味で絵を描き始めました。画業に専念したのは40歳を過ぎた頃。
動植物を描いた30枚の連作「動植綵絵」は若冲の出世作となりました。中でも鶏は若冲の代名詞とも言えるモチーフです。若冲は庭で数十羽の鶏を飼い、その生態をじっくりと観察した上で、綿密な写生に挑んだと言います。
若冲がそれまでにない新しい絵を描く絵師として脚光を浴びていた頃、京都にはもう一人、伝統に捉われない独自の作風で注目を集める絵師がいました。曾我蕭白です。若冲と蕭白は同じ題材を作品に描いていますが、その表現方法は全く異なります。二人の作風の違いも見比べます。
裕福だったため、自分が好きな題材を好きなように描くことができた若冲。彼が突然の不幸に見舞われたのは、72歳の時でした。
天明の大火により、京都が火の海と化したのです。私財を全て失った若冲は、京都・深草の石峰寺の門前に庵を結び、画業で生計を立てるようになります。斗米庵と名乗り、描いた絵を米一斗と交換していたという若冲。彼が晩年に描いた作品には、心境の変化が感じられる別の世界が広がっていました。