be ON AIR!

7/3(日)の放送
セーラ・マリ・カミングス(桝一市村酒造場取締役)
長野県小布施町。年間120万人の観光客が訪れるこの街に、創業250年、伝統ある造り酒屋、桝一市村酒造場があります。昔ながらの手法が引き継がれず、廃業を迫られる蔵元が多い中、桝一も同様の危機がありました。そんな桝一の苦境を1本の銘酒「白金」が救ったのです。その銘酒を作ったのが、なんとアメリカ生まれのブロンド娘、セーラ・マリ・カミングスさん。業績が頭打ちだった日本酒造りの世界でしたが、今では日本酒部門年商2億円と回復。さらに次々と新鮮な企画を提案し、現実のものとしてきたセーラさんの日本文化復興にかける情熱に迫ります。
7/10(日)の放送
津曲 孝(ケーキハウスツマガリ オーナーパティシェ)
食べるだけで幸せな気分になれる、そして笑顔があふれるおいしいお菓子を作りたい。そんな思いで洋菓子作りひと筋40年になる津曲孝さんは、兵庫県西宮市にある「ケーキハウスツマガリ」のオーナーパティシェ。わずか17坪のお店は常にお客さんでいっぱい。津曲さんが追求するおいしいお菓子の味を守るため、この本店と2つの支店を持つだけという小規模経営ながら20億円に迫る年商を誇っています。10年前の阪神淡路大震災を乗り越え、成長を続ける「ケーキハウスツマガリ」。その人気の秘密はいったいどこにあるのか?津曲さんの洋菓子職人としての数々のこだわりと哲学に迫ります。
7/17(日)の放送
小林 純子(設計事務所ゴンドラ代表)
依頼される仕事の9割がトイレの設計という設計事務所ゴンドラ。代表の小林純子さんは トイレ設計の第一人者として今までに80ヵ所以上の商業施設のトイレを手掛けてきました。清潔で快適なトイレは顧客獲得の大きな要因になると言います。目指すは「外出先のオアシス」。小林代表の作り上げるトイレとは一体どんなものなのか?小林代表のトイレにかける熱い思いと最新のトイレを紹介します。
7/24(日)の放送
設楽 洋(ビームス社長)
「セレクトショップ」の草分け的存在として知られているビームスの社長設楽洋さん。言葉すらない時代に、自らのセンスだけで選びぬかれた商品を店頭に並べ、お客様に『かっこよさ』を提案してきました。そんなビームスのスタイルは90年代初めの“渋カジ”ブームを始め、若者たちのファッション文化を形成してきたのです。自身が憧れたアメリカン・ライフスタイルを提案する、原宿の6.5坪の店で始まったビームスは今では日本全国、70店舗までになってはいるが設楽さんのこだわりで、決して同じスタイルの店は無いのです。今回は、設立以来30年が経過しようとしているいま、変わらず若者文化を提案し続ける設楽さんの半歩先の時代を見抜く力に迫ります。
7/31(日)の放送
梅原 誠(シチズン時計社長)
10万年に1秒の誤差しか生じないという電波時計をヒットさせ、業績を回復させたシチズン時計。今回は、会社の構造改革を進め、時計大国ニッポンの復権をめざしている梅原誠社長に迫る!業績を早めることになったその経営手腕。そして、梅原社長がかかげる時計の生産のすべてを国内で生産する「メード・イン・ジャパン」戦略とは?熱き思いには、日本のものづくりがめざすべき未来がありました。
8/7(日)の放送
松井 道夫(松井証券社長)
江戸時代、異様な風体をして、幕府の権威に逆らった歌舞伎者が、現代の証券業界に甦った。その人こそ現代の株鬼者(かぶきもん)、松井証券株式会社:松井道夫社長だ。今までに業界の鬼門を次々と打ち壊してきた。
支店や営業マンの全廃による社内改革に始まり、売買手数料の大幅値下げなどの規制秩序への挑戦、そしてインターネット取引...今も常識を覆す新手を次々と繰り出している。業界はもちろん、経済界も注目する株鬼者の経営哲学を探る。
8/21(日)の放送
金谷 年展(慶應義塾大学助教授)
あるときは、大学の助教授として活躍。また、あるときは、ラーメン店のオーナーとしてスープの味をたしかめる。異なる業界で2足のわらじを履くのは、金谷年展さん。金谷さんの目的は、環境にやさしく、かつ経済も発展していく「循環型社会」。そんな社会を目指して、水素エネルギーである燃料電池の普及を進めたり、官庁や企業と一緒になって、政策や戦略を模索するナビゲーターとして活躍しています。「ThinkタンクではなくDoタンクでいこう」、考えるだけでなく行動することに意義があるという金谷さん。ラーメンと燃料電池で描く未来社会の魅力に迫ります!
8/28(日)の放送
飯島 博(NPO法人アサザ基金理事代表)
1970年代より汚染に悩む“霞ヶ浦”。その日本で2番目に大きい湖を再生させようと10年前にただ一人立ち向かった男。飯島さんは“アサザ”という小さな水草を植付け、群生させることによって水質浄化に挑んでいる。その植付け作業は、流域にある小学校から始まった。10年にも及ぶ歳月をかけ霞ヶ浦の再生を呼びかけてきた飯島さんの発想はやがて地域住民や行政にまで波及。そのネットワークは日本全国に達し、今では10万人もの参加者にも膨れ上がった。ばらばらだった行政や企業、住民をつなぎ、地域社会を通して霞ヶ浦を再生する。その奮闘振りを密着する!