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ストーリー

ローマ帝国の英雄 皇帝ハドリアヌスの謎

ローマ帝国・五賢帝の一人に数えられるハドリアヌスの残した建造物、また、その謎に満ちた人物像について詳しく紹介していく歴史ドキュメンタリー。「ハドリアヌスの長城」をはじめ、あの「パンテオン」の建造を命じた人物としても有名だが、その生涯については意外に知られていない。 建築に情熱を注ぎ、帝国の領土視察に長年を費やしたハドリアヌス帝だが、愛人の不慮の死や、ユダヤ属州における反乱で心を病み、幸福とはいえない晩年を過ごした。壮大で優美なローマ史跡をめぐり、ローマ皇帝ではなく一人の人間としてのハドリアヌス像に迫る。

紀元117年8月、ローマ帝国。戦争の最中、皇帝トラヤヌスが病に倒れた。その知らせを受けたローマ東部軍団の司令官は、直ちに全軍の指揮を引き継ぎ、新皇帝の名乗りを上げる。第14代ローマ皇帝プブリウス・アエリウス・トラヤヌス・ハドリアヌスの誕生である。
ハドリアヌスは紀元76年に生まれ、後の皇帝トラヤヌスの養子となった。戦争で多くの手柄を立て、トラヤヌスから次代皇帝の指名を受けたとされている。即位後は領土の拡大よりも帝国の経済安定に力を注ぎ、食料の配給や税制の緩和といった民衆寄りの政策で人気を集めた。また、「ハドリアヌスの長城」に代表される石の壁で帝国をぐるりと囲み、外敵の侵入に備えるという軍人らしい一面もあった。
持ち前の好奇心から、ハドリアヌスは自ら帝国領土の視察を行った。中でもエジプトとアテネでは精力的に地元の文化を吸収し、多大な影響を受けることとなる。そしてこの旅の途中、ハドリアヌスは美青年アンティノウスと運命的な出会いを果たす。だが、この青年に対する深い愛情が彼の後の人生を狂わすこととなってしまうのだった。
数年後、ローマに舞い戻ったハドリアヌスは、「パンテオン」をはじめとする数々の建築物を視察し、再び諸国行脚の旅に出る。しかしその途中、アンティノウスの死という悲劇に遭遇。また、ユダヤ属州における反乱でハドリアヌスは冷酷非情な決断を迫られた。これらの心労が度重なり、ハドリアヌスの心は病んでしまった。
即位当初は絶大な人気を誇ったハドリアヌスだが、晩年は「ハドリアヌス庭園」でひっそりと過ごし、親族を死に追いやるほどの疑心暗鬼にとりつかれていた。しかし死の直前、賢帝は最後の輝きを見せる。自身の後継者の指名に加え、三代先の皇帝までも指名し、その後数十年に渡る帝国の繁栄を約束したのである。