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キリスト3つの名画の謎 ~その誕生に隠された真実~
第1部 レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」
15世紀末に描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、人々の賞賛を浴びる一方で、その実験的な画法から激しく損傷していった作品である。修復を重ねるうちに原作はゆがめられ、使徒の顔の表情も変わり、手はパンに描き直されていた。近年、ピニン・ブランビッラによって大々的に修復され、元の姿を取り戻した。最初は宗教絵画として信仰の為に複製されたこの作品は、人々の宗教観が薄れていくと、多くのアーティスト表現手段として利用されるようになった。アンディ・ウォーホルなどの作品に多く見られる。
さらに、ダン・ブラウンの大ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」では、聖ヨハネが実はマグダラのマリアであるという大胆な説が唱えられ、美術歴史家たちは大いに憤慨した。しかし、番組でコンピューターを使って調べた結果、聖ヨハネの顔が「岩窟の聖母」のとまったく一致することが発見され、おそらく同じモデルを使って描かれたと推測される。レオナルド・ダ・ヴィンチが、この作品に込めた想いは何か? 番組では、多くの専門家のインタビューを通じて探っていく。
キリストが弟子の一人が裏切ることを告げる瞬間を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、キリストをモデルにした絵画の中で、最も賞賛、分析され、パロディーにされた作品と言えるだろう。さらに、その製作よりも修復方法について多くの議論がされた作品でもある。
下書きやレオナルド自身の記録によると、彼は実際の人間をモデルにしてキリストや弟子達を描いた。彼がキリストを描くのに二人のモデルを使ったことも分かっている。
16世紀の記述には、レオナルドが変わった取り組み方で「最後の晩餐」を描いていたと書かれている。一日中、足場の上で飲み食いも忘れて描き続けることもあれば、ほんの一筆、二筆描くだけの日もあった。
レオナルドの存命中にも、「最後の晩餐」は損傷し始めていた。記録に残る最初の修復の1726年以降も、修復という名のもと、損傷はますます深くなる一方であった。初期の修復作業では、使徒の手はパンの塊に変えられている。その後もこの作品には多くの修復者がたずさわり、1954年には、一人の美術歴史家が「その大部分が偽物である」と言ったほどだった。
「最後の晩餐」は絵画、版画、彫版、彫刻など、様々な形態に複製されてきた。この作品の構図はアインシュタインやブニュエルを含む多くの映画監督に影響を与え、また、多くのアーティストによって、何度も作り替えられている。
ダン・ブラウンのベストセラー小説「ダ・ヴィンチ・コード」は、「最後の晩餐」に描かれた人物について新たな論争を引き起こした。ブラウンは、キリストの右隣にいる聖ヨハネは実は女性であり、マグダラのマリアをあらわしているという説を唱えたのだった…。