ありがとう

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放送内容

「脇屋友詞 ~脇屋友詞を作った母へ 伝えられなかった感謝~」

中華の革命児と呼ばれる料理人・脇屋友詞56歳。既存の中華料理の概念を覆し、世に脇屋の名を広めたのが、フランス料理の要素を取り入れた「ヌーベル・シノワ」(新中華料理)だ。大皿に盛る中華料理に対し、脇屋は少量ずつを楽しめる前菜や、繊細な香り、盛り付ける中華料理を確立した。平成4年、中国料理世界大会金賞を受賞。平成10年には、皇太子ご夫妻のご夕食総料理長を拝命し、名実ともに日本を代表する料理人になった。
今、脇屋が「ありがとう」を伝えたい相手は、52歳の若さで亡くなった母・比呂代さん。今年は母の23回忌の年にあたる。中学卒業後、15歳で中華の道へ。辛い修行時代を支えたのは、母の言葉「3年間は辛抱しなさい」。1年後、12人いた同期は2人に。3年目になると包丁も扱えるようになり、料理することの楽しさを見出していく。この時、夢を諦めない事の大切さを痛感し、母の言葉の重みを知った。27歳でホテルの料理長に大抜擢され、脇屋の料理が世の注目を集めていった。料理人として頭角を現してきた矢先、母を病が襲う。癌で入院、余命半年との宣告を受ける。当時、脇屋が少しでも元気になって欲しいと、入院中の母に届けたのは様々な食材のエキスを5時間かけて煮込み抽出した滋養あふれるスープ。脇屋は母が亡くなった年齢を超え「母親の命を自分が貰っているように感じる」という。この世に生きる自分が出来ることは何か?日々母のことを思いながら、脇屋は中華の道を極めている。昔から家族で食卓を囲むのが決まりだった脇屋家。墓参りに欠かせないのは各兄弟が持ち寄る料理だ。お墓の横にレジャーシートをひき、おでん、ロールキャベツなど母の好物を囲んで母の思い出を語る。生前、伝えられなかった母への感謝の思いを綴る。