ありがとう

  • トップページ
  • バックナンバー
  • プレゼント

放送内容

「酒井敏也 ~伝えられない姉へのありがとう~」

俳優・酒井敏也。映画「セーラー服と機関銃」「蒲田行進曲」などで、独特の存在感と挙動不審にもみえるおどおどした芸風を発揮。名脇役として映画のみならずドラマ、舞台などで幅広く活躍する。
彼がいま「ありがとう」の気持ちを伝えたい人。それは2歳年上の姉・久美子だ。岐阜県土岐市、美濃焼の産地で陶磁器生産日本一のこの町で、1959年、酒井は生まれた。実家はどんぶりを作る小さな製陶業を営んでいた。酒井も物心ついた頃には働く母の後ろで粘土をこねて遊んでいたという。共働きの両親は忙しく、内気で友達と遊ぶことも少なかった酒井少年をいつも心配し、遊びに連れ出し、面倒をみたのは姉の久美子だった。実家を継ぐため地元の多治見工業高校窯業科へ進むものの、在学中に実家は家業をたたんでしまう。進む道を失った酒井が、次に見つけた目標、それが演劇だった。一度は地元に就職するも、テレビで偶然見かけたつかこうへいの劇団に心酔。台詞を吹き込んだカセットテープを劇団に送り、つか本人から入団了承の電話がかかって来る。普段は引っ込み思案で決断力のない弟の「俳優になりたい」という思いに姉と両親は心配しながらも東京へと送り出した。つかの運転手兼付き人として過ごしながら、つかの命で役者として必要なチカラを付けるため様々なバイトを経験。稽古に明け暮れながら、徐々に舞台や映画で役をもらえるようになる。酒井が出演する舞台があると両親と姉は欠かさず岐阜から駆け付けた。いつも応援してくれる家族の存在。しかし、一方で酒井には長男でありながら両親や家のことなどを故郷に残った姉に押し付け、自分は好きなことをし続けて来たという後ろめたさがあるという。父の他界、母の介護を背負ってくれた姉に今回、酒井は今までなかなか面と向かっては言えなかった「ありがとう」を伝える決意をした。そこで思いついたのが得意とする粘度細工。子どもの頃、どんぶりを作る母の後ろでいつもこねていた粘土。役者になってからも時間がある度に作り続け、その作品は1000以上。「ありがとう」の言葉とともに姉に渡す酒井の感謝を込めた粘土細工。これまで言えなかった感謝の気持ちは上手く伝えられるだろうか。そして姉の反応は?