うたの旅人

うたの旅人

  • トップページ
  • バックナンバー
  • contents3
  • contents4

バックナンバー

初回放送:2010年11月23日「ちいさい秋みつけた」



今回紹介する"うた"は「誰かさんが~誰かさんが~誰かさんが見つけた~」で始まる「ちいさい秋みつけた」。

「誰かさん」って、いったい誰なんだろう?
……そんなちいさな疑問を追う謎解きの旅の過程で浮かび上がる、作詞家サトウハチローの波乱の人生、少年期に離ればなれになった母への想い、を美しい紅葉と共に紹介する。

「ちいさい秋みつけた」を作詞したサトウハチローは少年期、両親の離婚から荒んだ生活を送るようになり「山手線の内側の警察には全て捕まった」と後に語る程の素行不良少年だった。
15歳で小笠原の児童自立支援施設に送られ、付き添いとして連れ立った父の弟子・福士幸次郎の影響で「詩」の世界に魅了されていく。
4ヵ月後、児童自立支援施設を出所する時にはノート1冊びっしり詩が書き綴られていたという。やがて21歳になったハチローは母・ハルの死を体験し、翌年初詩集「爪色の雨」を出版。その後、福士の紹介で西條八十に弟子入り、童謡の制作を始めた。

八チローの人生の軌跡を追う過程で、番組は「ちいさい秋みつけた」の「誰かさん」の謎にぶつかる。
「ちいさい秋みつけた」の風景は何を見、何を思い書いたものなのか・・・?
ハチローの次男であり現在「サトウハチロー記念館」の館長の佐藤四郎さんによると
ハチローは文京区にあった書斎で布団にうつぶせに寝転び詞を書いていたという。
ちょうど、その書斎は北向き。眼前に広がるくもりガラスの窓から深紅に色づくハゼの木が見えていた。
このハゼの木こそ歌詞に登場「はぜの葉」のこと。
つまり、歌詞の中の「お部屋は北向き・くもりのガラス」はハチロー自身の書斎ではないかと考えられるのだ。
図らずもハチロー自身、NHKから秋向けの歌の作詞を依頼された時に「全山の紅葉ではなく我が家の小さな庭にしのびよる秋を書こう」と思っていたという。

ならば、「誰かさん」とは・・・?
さらに取材を進める中、「誰かさんとは、私です」という人物が現れる!

番組では、次男・佐藤四郎さん他、「ちいさい秋みつけた」に惚れ込み、レパートリーに入れたというボニージャックスなどにも取材。

サトウハチロー氏が「ちいさい秋みつけた」で描いた秋は見つかるのか? お楽しみに!