ベストヒット USA

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【2016年7月22日】
カルチャー・クラブ特集

今回はカルチャー・クラブがベストヒットUSAに初登場!35年越しの思いがついに実現しました。先日行われた16年ぶりの来日公演も大盛況だった彼らに数々のヒット曲の裏話を語ってもらいました。
「Do You Really Want To Hurt Me」のリリースにボーイ・ジョージは反対だった!? 「Karma Chameleon」はどのようにして生まれた!?…などなど、彼ら自ら語ってくれました。
まさに永久保存版とも言える内容です。お楽しみに!

インタビュー

カルチャー・クラブ

小林克也:「音楽をやるぞと決めたのはいつごろなの?」
ボーイ・ジョージ:「僕は5歳くらいの時。」
小林克也:「5歳?」
ボーイ・ジョージ:
「うん。バズビー・バークレーの映画とかハリウッドの映画を見て
1945年頃の、マルクス・ブラザーズとかさ、
子供のころそういうアメリカの映画を見てたんだよ。
とにかく魅了されてね。
マルクス・ブラザーズとか、バズビー・バークレーとかに。」
小林克也:「自分の歌声に辿り着いたのは?」
ボーイ・ジョージ:
「バズビー・バークレーみたいなミュージカルと、
グラディス・ナイトやスティーヴィー・ワンダーや、
スタイリスティックみたいなソウル・ミュージックのミックスだね。
70年代に聞いていたから。あとはちょっとパンク。
それにちょっとブルース、全てだね。
それが全部一緒になっている。」
ロイ・ヘイ:「全部からちょっとずつだな。」
小林克也:「5歳か。君たちは?」
ロイ・ヘイ:
「音楽を学び始めたのは7歳の時。
地元のバンドでいくつか活動したりしていたけど、プロになるとは思ってなかったんだ。
でもみんなに会って、ジョンがバンドのヴィジョンを持っていたんだよね。
「これをやるぞ」、「曲をかくぞ」、「ジョージはこの部屋で曲をかいて」、
「演奏して、契約して、ポップ・シングル・ヒットを出してトップになるんだ。」と
仕切ってくれたから。
「これならうまくいくな」って。それにもちろんジョージはスターだったしね。
ジョージに会った時、彼はスターだったから。」
ボーイ・ジョージ:「ずっとスターになりたかったんだよ。」
ロイ・ヘイ:「君はスターだったもん。」
マイキー・クレイグ:
「僕は子供の頃レコードを聞いていて、
11歳でジャマイカに行ってベースが大好きになったんだ。
ベースのサウンドに夢中になった。
それまで僕はどうやって音が出るのかすら分からなかった。でも夢中になったんだ。
それからジャマイカから戻ってベースを手に入れて、
レコードの曲に合わせて弾くようになったんだよ。
そうやって音楽を理解していったんだ。
音符がかけるようになったのはそれより後のこと。ただ曲を聴くことで学んだよ。」