建物遺産~重要文化財を訪ねて~

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上芳我家住宅

内子の木蝋生産は、明治から大正にかけてが最盛期であり、当時は製蝋業者が23軒、日本の総生産量の約3割を占め日本一の生産量を誇った。海外にも輸出されていた。芳我家は内子の木蝋生産の基礎を築き、その発展の中心となった商家で、本家を「本芳我」、街道筋上手にある分家を「上芳我」と言う。文久元年(1861)に分家した。上芳我家は旧松山街道に面して大壁造の接客、商談に使用された主屋が建ち、その奥に離座敷や風呂場、最盛期には20人ほどの従業員の食事を賄った炊事場などがある。家族の住まいとした居住部分は今はない。敷地は蝋を天日に干す晒場(さらしば)が大きな面積を占め、木蝋生産に必要な釜場、出店倉、土蔵などの諸施設も敷地内に並んでいる。主屋、離れは上質で華やかな意匠になっており、木蝋で栄えた商家の様子を今に残している。