歴史ミステリー 日本の城見聞録

歴史ミステリー 日本の城見聞録

お知らせ

【放送日時】
2015年10月4日(土)よる9:00~10:54放送

番組概要

生涯を通じて日本の城作りのけん引役だった豊臣秀吉。その「野望実現の生涯」の証が、今も残されている。「黒から白へ…」をキーワードに、俳優・篠井英介が、熊本城、大坂城、そして京都の聚楽第を巡り、城作りに生涯を懸けた天下人・秀吉の生涯に迫る!!

姫路城、彦根城、松本城、岡山城、広島城。日本には多くの城があるが、その天守には黒い天守と白い天守がある。一般に黒い天守は“秀吉の城”、白い天守は“家康の城”といわれ、まさに白と黒の対決。それが今回の「歴史ミステリー」を解く鍵。

実は、秀吉ほど生涯に多くの城を築いた武将はいない。そしてそのどれもが画期的な城だった。日本の城の歴史は、秀吉の歴史でもある。

城案内人となる俳優・篠井英介は日本舞踊の師範も務め、日本の伝統と文化を大切に思い、ことのほか大切にしてきた。歴史の遺産でもある日本の城にも高い関心を持っている篠井が、熊本城、大坂城、そして京都の聚楽第を巡り、城作りに生涯を懸けた天下人・豊臣秀吉の「野望実現の生涯」をたどる。

放送内容

黒く輝く熊本城に来ると、黒い城が戦いのための城であることがよくわかる。加藤清正が建てたこの城は、高い石垣に守られた難攻不落の城。清正がこれほどまでに堅固な城にしたのには理由があった。それは秀吉の遺児であった秀頼。もしその身に危険が迫った時、この城に秀頼をかくまって、徳川と一戦を交える、そんな決意を清正は胸に秘めていた。清正がこの城を一番見て欲しかったのは、父のように慕っていた秀吉だったのだ。

そんな秀吉が築城した黒い城が大坂城。巨大な天守は漆黒と輝く黄金で、まばゆいばかりだったという。絢爛(けんらん)豪華にして難攻不落。戦いの城にして美しい…秀吉自慢の城だった。かつての主君、織田信長の安土城を超える城を作りたい、そんな思いが秘められた城だ。だが、現存する城は昭和8年に復興された鉄筋コンクリートの天守。最上階は黒いが、その下の階までの壁は白色。黒なのに白、白なのに黒…実に不思議な天守なのだ。
今から400年前、この大坂城を舞台に、豊臣と徳川が激突した大坂の陣で敗れた豊臣家は滅亡。しかし、豊臣家の悲劇はそれだけで終わらなかった。秀吉の大坂城は徹底的に打ち壊され、深い土の下に埋められてしまった。そんな悲劇の30年前、秀吉はもうひとつの絢爛豪華な城を京都に建てていた。聚楽第だ。今は観光名所などひとつもない、市バスが行き交う住宅街だが、この場所にかつて京都御所をしのぐ、巨大な城が築かれていた。ただ、わずか10年で跡形もなく打ち壊されたので、まさに“幻の城”。その存在の手掛かりは屏風(びょうぶ)画しかなかった。

ところが、近年の発掘調査で石垣が出土。さらに金箔(きんぱく)貼りの瓦も多数発見され、幻が現実となった。複数の屏風画によれば、聚楽第の天守は、輝くばかりの白い天守だった。そのころ、白しっくいは室内装飾などでは取り入れられていたが、維持に莫大(ばくだい)な手間と費用がかかるため、巨大な天守の外壁に用いた者など誰もいなかった。この初めての“白く輝く天守”に、人々は度肝を抜かれた。
そんな秀吉の白い天守がもうひとつ。九州・肥前の名護屋城だ。朝鮮半島と大陸への出兵のためのとりででありながら、秀吉は強大な天守を築城した。聚楽第と名護屋城の共通点は、白さで見る者を圧倒しようとする、見せるための城だということ。白い天守こそが、すなわち権力の象徴。つまり、秀吉の野望実現のための城だったのだ。ところが運命は皮肉で、聚楽第を打ち壊してしまった後に移った伏見城で、秀吉は死去。秀吉亡き後、大坂城に入った家康は、西ノ丸にもうひとつの天守を建てた。ひとつの城に天守がふたつ――異常事態が発生した。しかも、その天守は白く輝いていた。

その後の豊臣家監視のために仕組まれた、大坂城包囲網の城の天守も白。そのひとつ、姫路城の白い天守は圧倒的な白さで今も人を魅了し続けている。大坂の陣で豊臣家は滅亡。土に埋めた秀吉の大坂城の上に建てた、まるで秀吉の墓碑のような徳川の大坂城の天守もまた、白く輝く巨大な天守だった。

黒から白へ…。その生涯を通じて日本の城作りのけん引役だった豊臣秀吉。その「野望実現の生涯」の証が、今も残されている。

■CAST  篠井英介