熱中世代 大人のランキング

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2016年3月13日

熱中ゲスト

女優・小山明子

1955年のデビュー以来、数々の映画やテレビドラマに出演してきた女優の小山明子。夫は世界的な映画監督、大島渚。おしどり夫婦として知られるなか、1996年、大島監督が病に倒れ長い介護生活が始まる。
2013年に大島監督を看取った後は自分のために豊かな人生を送ることを決めた。夫婦の17年間に及ぶ"愛と闘いの日々"と、"とことん今を楽しむ"小山流の生き方に迫る。

"女優・小山明子"誕生と運命の出会い

1935年、千葉県に生まれた小山。小学校入学と同時に太平洋戦争が開戦し、大阪へ一人疎開する。娘を心配した母からはしばしば手紙が送られてきたという。そこには後の人生の指針になったという言葉が綴られていた。
高校を卒業後、デザイナーの道を志していたが、偶然モデルを務めた雑誌が松竹の目にとまり映画界へ入ることになる。そして1955年二十歳の時にデビュー。"無我夢中"の新人時代を過ごす。

大島渚監督との "愛と闘いの日々"

小山の運命の出会いは2作目の出演作。松竹で当時助監督だった23歳の大島渚と撮影現場で知り合う。二人の絆を深めたのは5年間で360通に及んだラブレターだった。中でも小山の心を揺さぶった、若かりし大島渚の決意の言葉とは…。そして、大島の監督デビューをきっかけに二人は結婚。しかし、結婚と同時に松竹を退社してしまった大島監督との新婚生活は思い描いていた"理想"とは違っていたという…。
1996年、大島監督がロンドンで病に倒れ、介護生活が始まった。すぐに現地へ駆け付けられなかった後悔と、慣れない介護で小山自身もうつ病を患ってしまう。つらいうつ病から立ち直るきっかけは、見知らぬ女性からの意外な一言だった…。
"彼を守るために全力を尽くす、この人のために生きる"。うつ病を克服した小山は、いつしかそう決意していたという。長い介護生活の中で見つけた本当に大切なこと、そして大島監督との忘れられないエピソードとは…。17年間に及ぶ夫婦の"愛と闘いの日々"を語る。

小山明子の"今"

大島監督を見送った後、今度は自分自身のために生きることを決めたという小山さん。友人と趣味の麻雀を楽しむ様子をVTRで紹介。また、介護生活の経験を通して"死をタブーにしたくない"と思うようになった小山が行っている"終活"とは…。

カルチャーランキング

東京・歌舞伎座の人気のお土産ランキング

日本の伝統芸能を支えてきた東京・銀座にある歌舞伎座。
今回は、歌舞伎を楽しむだけではなく、本格的な歌舞伎体験や、ちょっと得した気分になれるポイントを紹介。
そして歌舞伎座ならではのお土産をランキングで発表。はたしていったいどんなお土産が人気なのか?
さらに歌舞伎座でしか買えない意外なキャラクターグッズも発見。
スタジオでは歌舞伎鑑賞がお好きだというゲストの小山に歌舞伎の魅力や鑑賞のポイントも聞いた。

小山明子さん

1935年 1月27日生まれ。
松竹映画「ママ横をむいてて」で女優デビュー後、映画、テレビ、舞台で数々の作品に出演。
1996年、おしどり夫婦として知られた夫 大島渚監督が脳出血で倒れ、女優業を休業し介護に専念。
介護によるうつ病も乗り越え、17年にわたった献身的な介護経験をもとに講演活動もおこなう

著書:
『パパはマイナス50点 介護うつを越えて 夫、大島渚を支えた10年』 集英社
『小山明子のしあわせ日和』清流出版
など