熱中世代 大人のランキング

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2015年12月20日

熱中ゲスト

デザイナー・コシノ ジュンコ

世界を舞台に活躍するデザイナー、コシノ ジュンコさんがゲスト。コシノ三姉妹の次女として生まれ、斬新でエレガントな洋服で人々を魅了してきた。近年ではファッションの枠に留まらず、国境を越えて数々の催しのプロデュースも行っている。モットーは「誰もやっていないことを、やる」。精力的な活動を続けるコシノさんの〝仕事〟と尽きることのない〝情熱〟に迫る。

コシノ ジュンコの原点

大阪・岸和田市で三姉妹の次女として生まれたコシノさん。実家はテレビドラマ「カーネーション」のモデルにもなった〝コシノ洋装店〟。母の働く姿を目にして育ち、デザイナーとしての素養を知らず知らずのうちに身に付けていく。姉・ヒロコさんと妹・ミチコさんとは、幼少期から〝ライバル〟だったという。姉妹との喧嘩が絶えない賑やかな日々を明かす。
高校を卒業後、東京の文化服装学院に入学。同期には「KENZO」の高田賢三や「ピンクハウス」の金子功などのちのファッション界をリードする才能が集っていた。同級生たちと切磋琢磨しながらデザインの腕を磨き19歳の史上最年少で、若手デザイナーの登竜門"装苑賞"を受賞。しかしコシノさんは当時を振り返り「賞を獲りたいと思っていなかった」と語った。その真意とは・・・。

文化の始まりを感じた〝あの時代〟

コシノさんは1960年代、70年代を疾走した。60年代後半にブティック「COLETTE」をオープン。ザ・タイガースなどグループサウンズの衣装も担当し、その名を一躍有名にした。70年代には大阪万博のコンパニオンの衣装を担当し、〝パリコレ〟デビューも果たす。コシノさんがつくる最先端のファッションは人々を魅了し、多くの才能が彼女の周りに集まった。コシノさんが「文化の始まりだった」という、熱い〝あの時代〟。友人たちと過ごした「互いに刺激し合う日々」を語る。
コシノさんが大切にしてきた数々の出会い。中でも歌手、ダイアナ・ロスとのエピソードは印象的だったという。彼女が来日した際、コシノさんのショーを観て大感激。後日行った自身のコンサートでは、コシノさんのために急きょ〝特等席〟を設けてくれたという。MCの鴻上も驚いた、その〝特等席〟とは一体・・・。

改革開放時代の北京でファッションショー

1978年の〝パリコレ〟デビューを皮切りに、コシノさんは世界を舞台にファッションショーを開いてきた。1985年には北京で中国最大といわれたファッションショーを開催、中国人モデルたちと共にショーを作り上げていく。その模様に密着した当時の貴重な映像をご紹介、コシノさんの〝挑戦〟に迫る。
そして・・・なぜ〝世界中でショーを行う〟のか・・・コシノさんが抱く思いを聞く。

日本文化の素晴らしさを世界へ

コシノさんが近年、力を入れているのが、日本の文化を世界へ伝える活動。和食レセプションのプロデュースや青森・五所川原市の立佞武多(たちねぷた)がブラジルのカーニバルに参加するプロジェクトの立役者となるなど、その活動はファッションの枠に留まらない。コシノさんが語る、日本文化の素晴らしさ、そしてこれを発信していく思いとは。

カルチャーランキング

映画「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌

1965年に公開されたミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」。当時、日本でも大ヒットしたこの作品は、公開から半世紀がたった今も、大人から子供まで楽しめる映画として愛され続けている。
この作品に欠かすことができないのが劇中歌。ジュリー・アンドリュースが演じるマリアが歌う「サウンド・オブ・ミュージック」、子供たちに歌うことの楽しさを教える「ド・レ・ミの歌」、トラップ大佐が歌う「エーデルワイス」。他にも「私のお気に入り(マイ・フェイバリット・シングス)」や「もうすぐ17才」「すべての山に登れ」「さようなら、ごきげんよう」など・・・。
今回のランキングは、その「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌。熱中世代のオトナ100人に聞いた〝好きな歌〟ベスト5を映画の名シーンと共に紹介する。さらに、製作50周年を記念してジュリー・アンドリュースが再び撮影地、オーストリア・ザルツブルクを訪れた映像もご紹介。

コシノ ジュンコさん

新人デザイナーの登龍門といわれる装苑賞を最年少の19歳で受賞。1978年パリコレクション初参加。
世界各地にてショウを開催。オペラやブロードウェイミュージカルの舞台衣装、スポーツユニフォーム、インテリアデザイン等幅広く活動。