熱中世代 大人のランキング

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バックナンバー

2014年8月11日放送

熱中ゲスト

ミュージシャン 山田パンダ

フォークグル-プ「かぐや姫」のメンバーとして活躍、現在、音楽に加え〝教育の現場〟でも活動する山田パンダさんがゲスト。数々のヒット曲を世に送り出した「かぐや姫」時代のことや、その後の〝転機〟などドラマチックな人生とともに、熱いハートに迫る。
パンダさんは大学に進学する際、福岡から上京した。「何かおもしろいことがしたい」という思いだけが胸にあった。音楽を志していたわけではなかったという青年が、なぜフォークを始めることになったのか・・・。始まりは学生時代のひとつの出会いだった。
後に結成した「かぐや姫」は、数々の名曲を世に送り出すことになるが、最初のヒット曲はパンダさんが作詞・作曲した「僕の胸でおやすみ」だった。担当していたラジオ番組でレコードをかけ続けた日々。その後の「神田川」の大ヒットへとつながるエピソードを明かす。 「おもしろいこと」に懸命に取り組んできたパンダさんだが〝壁〟とも呼べる状況に直面したことがある。これを乗り越えたきっかけは、意外な決断だった。それは保育園での勤務。
パンダさんが保育園の門をくぐった理由、そして貴重な体験とは・・・。パンダさんが〝人生のターニングポイント〟だと語ったある日の出来事、その瞬間を明かす。

カルチャーランキング

熱中世代に聞いた〝思い出のフォークソング〟

「夫婦での旅行は心の宝になる」・・・結婚数十年になる〝ベテラン夫婦〟にマイクを向けると、そんな答えが返ってきた。
熱中世代のオトナたちが青春時代の真っただ中にいた1960年代後半から1970年代、若者たちが愛したのがフォークソング。その熱中世代の皆さんに、多くの思い出が生まれる夏だからこそ聞いてみた。「思い出のフォークソングは何ですか」。
集計すると票数はバラけた。挙がったのは数多くの楽曲。それだけ、それぞれの人たちにそれぞれの思い出の楽曲があるということだ。それでも票数が固まったものがある。その思い出を聞くと「訪れた場所で流れていた」、あるいは「歌詞の世界に自身や友人の姿を投影していた」などの声が聞こえた。熱中世代の100人に聞いた「思い出のフォークソング」、多くの票を集めた楽曲とは果たして・・・

プレイバック

〝カレッジフォーク〟から「かぐや姫」へ

大学時代のある〝出会い〟によって音楽の世界に足を踏み入れた山田パンダさん。当時は〝カレッジフォーク〟の時代。各大学にフォークソング好きの若者たちが集まる〝同好会〟などが存在していたが、パンダさんは、誘われるままアルバイト先の友人が所属する別の大学で活動を始めた。
パンダさんは1968年に仲間と3人で「シュリークス」を結成。音楽に熱中する日々を送る。パンダさんが楽器をギターからウッドベースに変えたのは、メンバーに勧められたからだったという。メンバーとの間にどんな会話があったのか・・・。
結成の翌年、「シュリークス」はレコードデビューを果たし、1970年にはアメリカ、カナダ、メキシコをまわるツアーに参加。番組ではUCLAでの「シュリークス」の貴重な演奏を紹介する。絶妙なコーラスは必聴だ。
また、異なるそれぞれの才能が集まった「かぐや姫」の〝結成前夜〟についてもパンダさんに聞く。パンダさんを誘ったのは、南こうせつさん。しかし、パンダさんはすぐには首を縦にふらなかったという。なぜだったのか・・・。パンダさんの当時の思いとは・・・。また、パンダさんの背を押すことになったものは何だったのか。

ライフスタイル

人生の〝転機〟と子どもたちへの想い

パンダさんは音楽活動のほか、講師として小学校で道徳の授業を行い、各地での講演活動を続けている。
パンダさんの転機となったのは46歳のとき。当時パンダさんは〝壁〟ともいえる状況に直面し苦しんでいた。そのころの様子をパンダさん自身が語った。そしてふと目にしたのが保育園の保育補助員募集の文字。「捜し物を見つけた」という思いでパンダさんは、保育園で働くことを決めたという。ミュージシャンではなく、1人の〝おじさん〟として・・・。パンダさんは、そこでの、ある経験が「人生のターニングポイント」になったと明かす。その出来事とは何だったのか。
子どもたちと授業などを通してふれあいをつづけるパンダさん。小学生の子どもたちからのお礼の手紙に、パンダさんは〝お返し〟の歌をレコーディングした。この歌に込めた思い、パンダさんの情熱にスポットをあてる。

山田パンダ

ミュージシャン・子どもサポーター・道徳講師
1945年5月13日生まれ、福岡県出身。
明治大学工学部卒業。