SHISEIDO presents エコの作法
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2014年2月7日・3月14日放送
「在る×永平寺」 

例年2月…底冷えの中で山門を目指す僧たちがいます。曹洞宗大本山、永平寺…白足袋にワラジ、墨染めの法衣をまとい、わずかな荷物を背と胸にかけて、頭には網代笠…彼らは山門でじっと迎えを待ち続けます。すでにこのときから修行は始まっているのです。待つこと1時間半・・・。

曹洞宗開祖道元は、森羅万象の全てに仏が在り、人間1人1人の中にも、仏が在ると説きました。770年の間受け継がれてきた修行の日々がここにあります。永平寺では修行僧を雲水と呼びます。行雲流水…雲のように場所を定めず、水の流れのように留まらず、ただ一心に修行を重ねてます。托鉢の途上、つかの間の休息に立ち寄ったのは同じ曹洞宗の禅寺です。ワラジ履きで冷え切った足を湯で洗い、一服のお茶を頂いて、再び托鉢…いついかなるときも感謝を忘れることはありません。かつて永平寺の周辺には人の住まいもなく、お布施を求める術も少なかったと云います。それでも雲水はこの修行を続けてきました。

冬…寺の一日は午前4時半に始まります。起床を知らせる鈴、振鈴を聞くと雲水たちは素早く布団を畳み洗面に向かいます。桶一杯だけの水で歯を磨き、顔を洗い、丹念に耳の裏まで清めます。清潔を保つこともまた修行。なにもかもが古来からのならわし通りです。
洗面を済ませると夜明けの座禅。線香1本が燃え尽きる、およそ40分。ここ永平寺では私語がありません。ほぼ全ての行いが鐘や鈴、板を鳴らす音が合図となります。朝の勤行、朝課。導師と呼ばれる僧が姿を見せやがて読経が始まります。厳しい戒律によって己を律し、心身を鍛え上げること…道元は生活の全てが修行であると言い切っています。朝課を終え、ようやく小食(しょうじき)と呼ばれる朝食です。ほうを叩く音とともに僧堂に食事が運ばれてきます。おかゆに沢庵、梅干しとごま塩…これが小食の全て。私語は禁じられ決してほおばらず、音を立てず…器を高く持ち食べ物を下に見ないのは敬いの表れです。食事を済ませた雲水は作務に励みます。作務の1つが掃除です心身の内と外にある塵をはらい清めることを重視する禅宗。緩慢さなど微塵もない雲水は廊下と云わず、壁と云わず、黙々と磨き上げてゆきます。厳しい修行に慣れると質素な食事さえ万倍の活力に変える。参拝客の案内や庭の手入れも一切が修行であることはもう云うまでもありません。午前中の作務が終わると、昼の読経、日中諷経(にっちゅうふぎん)。その後打ち鳴らされたのは中食の合図です。雲水のお昼ご飯、中食(ちゅうじき)は麦飯に一汁一菜…この中食はひとりひとりが自分の麦飯から七粒ほどを差し出す、生飯(さば)という儀式を伴います。食物に恵まれない全ての存在を思い、この食が届くようにと祈るのです。集められた麦飯は敷地内の野鳥たちに捧げられます。午後もまた作務、あるいは講義などが行われます。夕方4時半…雲水たちは釈迦牟尼仏を祀る、仏殿に集まります。午後の読経、晩課諷経(ばんかふぎん)です。そして、温めた石を抱き飢えに耐えたという故事に由来する夕食、薬石は一汁二菜…。そして午後7時10分になると再び座禅…。座禅とは外に向かう心の働きを内に向け、自分の正体を照らし出すための修行だと云います。比叡山に学んでいた道元は名声ばかりを追い求める風潮に疑問を抱き、修行に没頭する場所を越前の辺境に求めました。禁欲的な修行には俗世間から遠く離れた過酷な環境が必要でした。開山は1244年…今から770年前のことでした。僧堂では1人につき畳一畳ほどの「単」と呼ばれるスペースが与えられ、そこで眠り、食事をし、座禅もします。

凜冽たる寒気が支配する冬の永平寺…雲水と呼ばれる修行僧には辛い季節です。七堂伽藍を人の身体に見立てた時ちょうど左手にあたる大庫院…200人近い雲水の食事がここで作られています。三度の食事を整え命を預かる大事なお務めをやはり雲水が持ち回りで受け持っています。毎朝一番にとりかかるのが胡麻塩づくり…たっぷり1時間かけて胡麻をすり、これをいった塩と混ぜ合わせます。肉も魚も摂らない精進料理では胡麻は貴重なタンパク源です。胡麻塩とともに永平寺の食事に欠かせないのが沢庵…食べる時、音が出ないように薄く、薄く、切ってゆきます。食事を司る重要な役職、典座…三好さんはこの十年にわたって典座の職にあります。禅宗の中でも、食べること、調理することを極めて大切な修行と位置づけているのは曹洞宗だけと云います。道元が残した典座教訓(てんぞきょうくん)にはその果たすべき責任と役割が記されています。例えば典座は食事が僧堂に運ばれる前に白衣から袈裟に衣を替え、厳かに九拝します。道元は修行の規律を細部に至るまで厳密に定めているのです。食への敬いを表すこの作法は僧食九拝(そうじききゅうはい)と名付けられています。準備が整うと雲をかたどった鉄の板、雲版(うんぱん)が鳴らされます。こうしてはじめて食事が僧堂に運び込まれるのです。雲水が食事を口にする前には5カ条におよぶ食の教え、五観の偈(ごかんのげ)の他、多くの教えを唱えます。雲水が差し出す器は、応量器…入れ子のように大きさが異なる5つの器が彼らの食器です。箸や匙、ふくさなども使い方は細かく決められています。食事をするときは早過ぎず、遅すぎず…食べ終わると器に白湯を受けてその場で丁寧に洗い飲み干します。ヒシャクに残った水の一滴も無駄にはしない…その一滴を川に返せば千億の人々が恩恵に預かるという道元の思想です。三好典座が案内してくれたのは、香菜蔵(こうさいぐら)…。毎年11月には1万本を超える大根が樽に仕込まれ、1年分の沢庵になるそうです。食物を敬い無駄をそぎ落とすのが禅の心得。食材もまた仏性を備えた命でした。大根に限らず野菜の皮や葉も決して捨てることはありません。野菜屑を永平寺では味噌汁の出汁に使っています。あらゆる素材を分け隔てせず愛おしむように調理に活かしているのです。鍋を洗う時も鍋底にこびりついた米粒をおろそかにはしません。丹念にヘラで剥がしざるに集めます。これを冷凍保存して一定の量になったところで朝食のおかゆに使うのです。永平寺ではまさしく徹底的なエコの考え方が貫かれていました。

典座には三つの心が必要だと道元は言います。喜んでその職務にあたる心、親が子を思うような親切心、そして全体を俯瞰する偏りのない心。…なんだか身の引き締まるような思いがしてきますね。

ひたすら壁に向かい合う曹洞宗の座禅…。一切の雑念を捨て自分が自分であることも忘れてただただ座る…。そのありようを只管打坐(しかんたざ)と呼びます。己が消え悟りへの意欲さえ消えた先にいつか開かれるのは在るがままに在る世界…。

今年もまた若い僧や定年退職した人などが修行の門を叩きます。永平寺が教えてくれること…それは私たちの命もまた大いなる自然の一部だということ…。一切の見返りを求めることなく粛々と繰り返される自然の営みを思えば明日を憂える心は溶けてゆきます。己の中に全てがあり、全ての中に己がある。その自覚こそ飽食や無駄を戒め本当の豊かさへと向かう、エコの原点ではないでしょうか。

永平寺

〒910-1294
福井県吉田郡永平寺町志比5-15
TEL:0776-63-3102

ジェフ・バーグランドさん


<プロフィール>
仏教に憧れ来日。専門は異文化コミュニケーション。外国と日本の文化だけでなく、男女、年齢、障害者と健常者等の文化間コミュニケーションについて研究。「日本から文化力~異文化コミュニケーションのすすめ~」等をテーマにお互いの文化を理解する為必要なコミュニケーション方法について、企業、行政、PTA関係等でも講演多数。現在は160年前の江戸時代後期に建てられた京都鴨川沿いの町家に暮らす、日本人以上に日本の文化を愛する一人でもある。