BS朝日開局15周年特別企画 黒柳徹子のコドモノクニ ~夢を描いた芸術家たち~

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放送内容

よみがえった幻の童謡詩人・金子みすゞ

4年前、東日本大震災によるテレビCMの自粛で、ACジャパンが制作した公共広告が視聴者の注目を集めた。詩人・金子みすゞの作品「こだまでしょうか」だ。今回は、当時の日本人の心に安らぎを与えた詩人・金子みすゞの26年の生涯を紹介する。

今でも人々の心を捉える金子みすゞの詩は、大正から昭和初期に作られた。生前に発表されたものはわずか90点ほどだが、彼女の死後50年を経て、「こだまでしょうか」をはじめ、512編の詩が発見された。

金子みすゞ(本名:テル)は明治36年(1903)現在の山口県長門市仙崎で生まれ、幼い頃から実家の本屋で書物に親しんだ。仙崎は漁業の町で、命や自然を大切にする風土。江戸時代には沿岸捕鯨が盛んで、鯨の墓や鯨の位牌(いはい)、鯨の法要が行われるような土地柄だ。みすゞはこの故郷で、命の大切さや、小さな物を慈しむまなざし、自然に活かされているという考え方を学んだ。

大正12年(1923)4月。20歳で、母が暮らす下関に転居。みすゞは当時刊行されていた雑誌『童話』や、『コドモノクニ』などに触発され、雑誌に詩の投稿を始める。そして、みすゞの詩は西條八十の目に留まり、『童話』9月号に掲載されて「若き童謡詩人の中の巨星」と絶賛され、本格的な詩作を始めることになった。

金子みすゞ自身の作品が掲載されたのは2点のみだが、彼女が書いたものの中には度々『コドモノクニ』が登場する。みすゞにとって、絵雑誌『コドモノクニ』は詩を書くきっかけを作った思い出の絵雑誌でもあった。

大正15年には23歳で結婚。長女・ふさえが誕生するが、夫から詩作を禁じられたため、断筆を余儀なくされる。その3年後に離婚するが、娘の親権をめぐって夫と対立。みすゞは26歳で自ら命を絶った。若くしてこの世を去ったみすゞは、「幻の童謡詩人」と語り継がれるようになる。みすゞの死から約50年後、その作品を探し求めていた詩人・童話作家の矢崎節夫(やざき・せつお)氏は彼女の作品をなんと512編発見した。さらに、その中には、わずか3歳だったみすゞの長女・ふさえさんとの思い出の言葉が散りばめられた手帳・南京玉も。今回、番組では、幻の作品を発見した矢崎氏と長女・ふさえさんにインタビュー。これまで語られることのなかった金子みすゞの真実に迫る!

【出演】 里中満智子