歴史発見 城下町へ行こう!

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放送内容

黒田官兵衛、豊臣秀吉、徳川家康が愛した姫路の城下町

風林火山!戦国最強 武田信玄の素顔!山梨・甲府の旅風林火山!戦国最強 武田信玄の素顔!山梨・甲府の旅風林火山!戦国最強 武田信玄の素顔!山梨・甲府の旅

関ヶ原合戦が東軍の勝利に終わり、天下取りの総仕上げに入っていた家康。そこで必要だったのは、大坂城へ攻め込んだ時に西国からの攻撃を抑えるための防波堤。家康はその拠点として姫路を選び、池田輝政を送り込む。輝政は家康に応えようと、絶対に落ちることがない“徹底した防御システムの城”を築く。しかも“西の江戸城”と呼ばれるほど巨大な規模。その驚きの内容とは?

天正8(1580)年、黒田官兵衛は秀吉から1万石の所領を与えられ、大名の仲間入りを果たす。以降、秀吉から戦場で旗を掲げるよう命じられ、官兵衛は新たに黒田家の旗を作成するが、その旗を地元の神社で祈祷してもらってからというもの、官兵衛はそこから一度たりとも戦に負けることはなかった。実はその神社こそ、“戦の神”「軍神・射楯大神(いたてのおおかみ)と兵主大神(ひょうずのおおかみ)」を祭る、勝負事に欠かせない必勝のパワースポットだった!

戦国最強といわれた武田信玄お抱えの“甲冑(かっちゅう)職人”がいた。名前を“明珍(みょうちん)”といい、時が流れた現代の姫路でその“明珍”の看板を発見! なんと、戦国時代よりはるか昔、平安時代から1200年以上続いてきたという明珍家の末裔(まつえい)がいた! 今はもう甲冑を作ってはいないが、明珍家に代々伝わる秘技によって生み出される、ある意外なものを作っていた。

織田信長の命で備中を攻めていた豊臣秀吉。その最中、ふと立ち寄った寺で、秀吉は茶を所望するが、その寺は茶ではなくただの湯を秀吉に与えたという。いったいなぜ? そして寺の命運は…?

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