ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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10月28日(土)
ゲスト:高橋惠子(女優)

ゲスト×インタビュアー
高橋惠子(女優)× 舘野晴彦(編集者)

1955年、酪農を営む両親のもとに生まれる。10歳年の離れた兄との2人兄弟、しかし兄は脳性まひによって寝たきりの生活だった。そして、高橋が3歳の時に兄は他界してしまう。
1970年、中学を卒業し大映に入社。3カ月間のレッスンを受け、関根恵子の名で「高校生ブルース」に主演しデビューを飾る。大胆なヌードシーンもあったが、当時の心境は穏やかではなかったという。
その後も映画「おさな妻」や「高校生心中 純愛」など、大映「レモンセックス」シリーズに1年半で7本出演。スター扱いされ、過酷なスケジュールをこなす中、15歳の少女は女優という職業に疑問を感じていた。この時、引退を考えるも、女優を続けるきっかけを作ったのは、一人の映画監督との出会いだった。その人物と女優を辞めなかったわけとは?
1972年、東宝に移籍し刑事ドラマ「太陽にほえろ!」に出演、石原裕次郎、松田優作、萩原健一といったスターたちと共演を果たす。時代を席巻したドラマの舞台裏を語る。
1973年には、映画「朝やけの詩」に出演。映画に話題性を作るため、湖を裸で泳ぐシーンが追加された。ストーリーとは関係のないシーンをメディアは大きく取り上げ、「脱ぐ女優」の印象が強くなっていく。「自分は脱ぐだけの女優じゃないのに…」そんな感情と世間のイメージとの間で苦悩し、睡眠薬を飲んで自殺未遂を起こす。一命を取り留めたものの、女優業は休業せざるを得なかった。当時の心境、自殺未遂への後悔の思いとは?
岐阜県飛騨高山で2年間の療養生活を経て、1979年、女優復帰の場として自ら舞台出演を決める。しかし、舞台初日に若手作家とともに海外へ失そう、両親からは捜索願が出されたうえマスコミには「愛の逃避行」と報じられ、世間を騒がせる大騒動となった。なぜそんな事態を起こしてしまったのか? そして日本に帰国しようと思った理由とは? 「愛の逃避行」の真相を赤裸々に語る。
1982年、結婚をきっかけに高橋惠子に改名。一体、関根恵子という女優は、その時々で何を見てきたのか? そして「関根恵子」という女優人生を「高橋惠子」はどのように感じているのだろうか?
インタビュアーは編集者の舘野晴彦。高橋が出演していた「太陽にほえろ!」を見ていた世代。編集者の鋭い目線で、女優・高橋惠子の半生、そして波瀾(はらん)万丈だった「関根恵子」の人生に迫る!