ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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4月22日(土)
ゲスト:松本隆(作詞家)

ゲスト×インタビュアー
松本隆(作詞家)×小島慶子(タレント、エッセイスト)

「ルビーの指環」「赤いスイートピー」「卒業」「Romanticが止まらない」「冬のリヴィエラ」「セクシャルバイオレットNo.1」「木綿のハンカチーフ」…これまで、数え切れないほどの歌詞を世に送り出してきた。
1949年、東京都港区青山で、3人兄弟の長男として生まれる。慶應義塾大学中等部3年生の時、ビートルズに出会いロックに目覚める。高校に入り、ドラムセットを買ってもらうと練習に没頭、ドラムコンテストで優勝するほどの腕前に。
1969年に結成したロックバンド「はっぴいえんど」では、作詞を担当。この時のメンバーは、後にYMOのリーダーとなる細野晴臣、そして、歌手・大瀧詠一、天才ギターリスト・鈴木茂という、そうそうたる顔ぶれだった。「はっぴいえんど」解散後、松本は本格的な職業作詞家へと転身する。
1975年「木綿のハンカチーフ」のヒットにより、作詞家・松本隆の名は瞬く間に日本全国に広まった。当時の松本にとって雲の上の存在だったのが、作詞界の大御所・阿久悠。あえて阿久とは違う路線を行くことで、松本は自身のカラーを出していく。
1980年、松本に大きな悲しみが降りかかる。幼いころから病弱だった妹が亡くなったのだ。悲しみのあまり、半年もの間、詞が書けなくなった。この時、ちょうど大瀧詠一から作詞の依頼を受けていた松本は、断りの電話を入れるが、この時大瀧からは「松本しか考えていない、1年でも待つ」といわれたという。心のリハビリをした松本は、CMソングとして人気を博した「君は天然色」を作詞。この時の心境を、「悲劇は創作のバネになる」と、松本は振り返る。
1982年には、松田聖子の名曲「赤いスイートピー」を発表。作詞家である松本が、作曲を松任谷由実に依頼した。実は“スイートピー”に、当時赤い品種はなかったのだという。しかし、この曲の大ヒットにより、赤い品種が作られることになった、という驚きのエピソードも披露する。
1985年には、斉藤由貴のデビュー曲「卒業」を作詞。卒業式でも泣かないという自意識が強い女性を描き、この曲も大ヒットを遂げた。今回のインタビュアー・小島慶子が、「卒業」にまつわる松本のプライベートに切り込むと、松本がタジタジになってしまう場面も…。大御所作詞家の意外な素顔が明らかになる。
1990年代、松本は作詞家としての活動を休止する。その中でも1997年に発表したKinKi Kidsの「硝子の少年」は、まだ自分に作詞家としての賞味期限は残っているのか? を問いかけるための挑戦だった、と語る。大ヒットした「硝子の少年」、今だから語れるこの曲への特別な思いとは?
4月19日に発売される歌手・クミコの新曲「砂時計」についても。作詞・松本隆、作曲はつんくが担当する。2人が始めて初タッグを組み完成した「砂時計」、この曲の手ごたえとともに、今後の展望についても思いの丈を明かす。

4月23日(日)
ゲスト:やましたひでこ(断捨離提唱者)

ゲスト×インタビュアー
やましたひでこ(断捨離提唱者)×小島慶子(タレント、エッセイスト)

“断捨離”の提唱者、やましたひでこ。女性を中心に熱い支持を受けている片づけ術“断捨離”は、単に不要なものを処分し、執着心をなくすだけではない。日常を整えることで人生にも大きな変化が現れる“人生の片づけ”ともいえる。この“断捨離”の提唱者が、やましただ。そのすべは、彼女が主婦として、そして一人の人間として、日常の生活の中で実践し、磨き上げたものだ。
1954年、東京生まれ。意外にも母親は片付けが苦手で、実家はいつも散らかっており、友人を呼ぶのも恥ずかしかったという。
早稲田大学の4年生の時、何気なく初めたヨガで、後に“断捨離”のベースとなる行法哲学「断行・捨行・離行」と出会う。しかし、まだこの時は「手に負えない感じ」があり無意識のうちに心に封印したという。
大学を卒業すると間もなく、自営業の男性と結婚。石川県で新婚生活をスタートさせる。夫の仕事の事務をしながらヨガ講師として活動し、息子にも恵まれた。しかし、夫の両親との同居生活の中で“価値観”の違いに悩み、ストレスを抱え込む日々…。36歳の時、ついに体が悲鳴を上げる。白血球が減少する病気になり、髪の毛は抜け、体は痩せ細ったという。義理の両親との同居は解消したが、それでも40代の時には介護や更年期による体調不良がやましたを襲った。「私の人生このまま終わるの?」と出口の見えないトンネルにいるような不全感を抱える日々…。心の支えは、30歳を過ぎたころからコツコツとひとりで実践を重ねていた“断捨離”に磨きをかけることだった。
2001年から、全国各地で“断捨離セミナー”を展開。その新しい視点と思考法のメソッドは性別や年齢、職業を問わず、幅広い層から圧倒的な支持を得た。
2009年12月には著書『新・片づけ術「断捨離」』を刊行。人気に火が付き、今では関連書籍が累計300万部を超えるミリオンセラーとなり、アジアやヨーロッパ圏でも続々と刊行が続いている。
「空間を見据え、ものとの関係を問い直し、過剰を排していく。その行動を通して、思考の混乱や心の混沌(こんとん)までも整理し人生をより快適にする」、つまり、住空間にひしめくガラクタを見極め見切ることで、頭と心のガラクタの整理もできるのが“断捨離”なのだ。
やましたの教えのもと、“ダンシャリアン”と自認する断捨離実践者の多くは、自らの人生を見つめ直し、家族間の問題や対人関係の齟齬(そご)を解消し最適化に繋げてきた。そんな“断捨離”に、やましたが寄せる思いとは? そして、“断捨離”の先にある未来にやましたは何を見据えているのか?
インタビュアーはタレント、エッセイストの小島慶子。4年前に雑誌で対談して以来の再会となった今回のインタビュー。自身のプライベートでの悩みも交え、やました流“断捨離”に隠された人気の秘密をひもといていく。