ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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3月25日(土)
ゲスト:清宮克幸(ヤマハ発動機ラグビー部監督)

ゲスト×インタビュアー
清宮克幸(ヤマハ発動機ラグビー部監督)×松岡修造(スポーツキャスター)

大阪・茨田高校からラグビーを始め、その才能はすぐに開花。高校日本代表でも主将を務め、その後、名門・早稲田大学に進学。4年生の時に主将となり、大学選手権を制覇した。さらに社会人ラグビーの強豪・サントリー入社後も主将を務めるなど、選手時代から強い統率力を放ってきた。
とりわけそのリーダーシップに注目が集まったのは、2001年に母校・早稲田大学の監督になってから。当時、長らく低迷していた早稲田大学を2003年、13年ぶりに大学選手権・優勝へと導き、監督在任の5年間でなんと3度も頂点に登り詰めた。2006年からは古巣サントリーの監督に就任、トップリーグ初優勝を勝ち取ると、2011年にはヤマハ発動機の監督となる。前年入れ替え戦に出場するなど、弱小だったチームを大改革し、4年目の2015年には、ついに創部から33年目にして初優勝をもたらした。
数々の結果を残し、誰もが認める日本ラグビー界のカリスマ指導者となった清宮。ラグビーW杯で大活躍し、一躍ヒーローとなった五郎丸歩をはじめ、清宮に才能を見出されたプレーヤーは数知れず…。一方、私生活では、高校ナンバーワンスラッガーといわれる、早稲田実業・清宮幸太郎の父親としても有名だ。子どものころから父の手ほどきを受け、才能を開花させたといわれているが、一体、なぜ清宮は、選手たちの才能を的確に見抜き、数々の結果を導き出すことができたのだろうか?
また、長男・幸太郎、次男・福太郎は、幼少期にはラグビーをやっていた。「人生を学ぶ、仲間を作る、という点においては野球よりラグビーの方がはるかに優れている」と断言しながらも、結果、野球を選んだ息子たち。その選択の背景には、野球とラグビーのある違いがあったからだという。果たしてその違いとは?
名将・清宮に迫るのは、スポーツキャスター・松岡修造。松岡は、自身の息子にテニスを教える難しさを吐露。名選手の子どもが親を超えられず苦しむケースは多い。子どもが親と同じスポーツをやることは、果たして幸せか、それとも不幸か? 子を持つ父親2人が、子育てとその悩みについて熱く語り合う。
実は、清宮と松岡は同い年。競技は違えど同じ指導者、また同学年の子どももおり、人を育てるその手腕や哲学に前々から関心があった、と松岡はいう。五郎丸がトッププレーヤーになれた理由、また幸太郎、福太郎をどのように前途有望な若者へと育てたのか? 組織・人材育成から教育論まで、スポーツ界を代表する熱血漢の2人が、じっくり膝つき合わせて、熱く本音で語り合う。
インタビュー場所は、日本ラグビーの聖地・秩父宮ラグビー場のロッカールーム。2時間を超えるインタビューで、清宮の人材育成の神髄に触れ、納得がいったという松岡。果たしてその答えとは?

3月26日(日)
ゲスト:佐野史郎(俳優)

ゲスト×インタビュアー
佐野史郎(俳優)×石原正康(編集者)

1955年、山梨県生まれ。生後2カ月で家族は東京練馬区に引っ越すが、驚くことに佐野はこのころの記憶を覚えているという。小学1年生の時、島根県松江市へ。実は佐野家は、松江で江戸末期から代々続く開業医。築150年の病院兼自宅で佐野は、ある物に熱中し、ドラキュラや妖怪など幻想怪奇の世界にどっぷりとハマっていった。
高校を卒業すると、単身上京。美術の学校に通いながら、役者を志す。初舞台は、20歳の時。劇団「シェイクスピア・シアター」の旗揚げ公演に参加、そのまま5年間、みっちりと実績を積んだ佐野は、意を決し憧れの劇団の門をたたく。それが、唐十郎主宰の「状況劇場」だった。見事、試験に合格した佐野は、25歳で入団を果たす。ところが、入団5年目、佐野に唐十郎から“役者失格”通告が突きつけられる。思いも寄らぬ通告に退団を余儀なくされるが、佐野には退団を認めざるを得ない心根が入団当初からあったという。その真相とは?
1984年、29歳で「状況劇場」を退団し、10年間の役者人生に終止符を打った佐野は、驚きの行動に出る。ロックバンド「タイムスリップ」を結成し、ミュージシャンへと転身を図ったのだ。この時のロックミュージシャンへの転身は、どのような意味があったのか?
その後、佐野を役者の世界へと戻す、運命の人に出会う。後に映画監督として数々の作品を世に送り出す、林海象だ。ライブの打ち上げで、偶然、林と出会った佐野は、「自分のデビュー作に主演で出てほしい」と声を掛けられたという。
スクリーンデビューから2年、俳優・佐野史郎に転機が訪れる。それは、宮沢りえ初出演映画として話題を集めた「ぼくらの7日間戦争」への出演だった。佐野が演じたのは、校則に厳しい教師役。見ているだけで腹が立つ役柄が、それが見ごとにはまった。以降、北野武監督作品の「保身のために事件を闇に葬る警察署長」など、“とにかくイヤなやつ”役の依頼が次々に舞い込むように。
1992年、37歳の時には、ドラマ「ずっとあなたが好きだった」で本領発揮。佐野演じる冬彦は、マザコンでオタクのエリート銀行員。狂気を秘めた佐野の演技に世間も注目し、最高視聴率は、34.1%を記録。“冬彦さん”誕生秘話、そして共演者の意外な裏話まで、当時の思いを赤裸々に語る。
10年ほど前から、故郷・松江ゆかりの小泉八雲の怪談を朗読する公演を行っている佐野。自らが書いた台本に、高校の同級生であるギタリスト・山本恭司が音楽をのせている。卓越した言葉選びと音楽で、幽玄の世界を浮かび上がらせる独特のステージ…。ここで佐野が表現したいものとは?
インタビュアーは、編集者の石原正康。役者歴42年、“怪優”とも称される佐野史郎の素顔に、鋭く切り込んでいく!