ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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2月4日(土)
ゲスト:宇梶剛士(俳優)

ゲスト×インタビュアー
宇梶剛士(俳優)×春風亭小朝(落語家)

190cm近い身長とそのキャラクターで、数多くの映画やドラマで活躍してきた。
今回の出演が決定した際、「何でも遠慮なく聞いてくれるはず」とのことで、インタビュアーには落語家・春風亭小朝を指名。開始時刻、かがむように低いドアから現れた宇梶に、まず小朝が取り出したのは宇梶の顔写真。勉強しているという“観相学”の視点から性格、人生を分析していく。小朝いわく、宇梶の口元は相当な“愛してちゃん唇”なのだとか。
さて、愛を求めていた…かもしれない少年時代、宇梶はどのような子どもだったのか。父は建設業に従事し、地方を転々として家に帰ってくるのは月に一度。そして母は民族解放運動などに力を注ぎ、家庭はバラバラになっていたという。特殊な家庭環境の中、宇梶がどのような思いで日々を過ごしていたのか、両親の教育、言葉を振り返る。
宇梶が少年時代に情熱を燃やしていたのは野球。その実力はプロが注目するほど突出したもので、高校は野球の名門校に進学する。しかし、そこには壮絶な体罰が存在する地獄が待っていた。プロ野球選手を夢見ていた、宇梶の歯車が狂い始めたのはこのころ。体罰への不条理を訴えたため、野球から切り離され絶望を味わった日々…。そして大事件を起こし、宇梶は不良の道へ足を踏み入れていく。この時、一体何があったのか? テレビではあまり語らないその真実を明かしてくれた。
宇梶が2000人を超える巨大暴走族のトップに君臨していたことは、よく本人からも語られているが、小朝が興味を持ったのは、その当時の素顔。さらに、女性の話になると意外な一面が! 巨体を小さくし、両手で顔を覆い、恥ずかしがる宇梶…こんな姿は見たことがない! インタビュー会場はほほ笑ましい空気に包まれた。
そして、自分自身が“半端ない”不良だった宇梶が、子育て論を語る。反抗期の子どもへの向き合い方にも注目! 思わず「なるほど!」といいたくなるその内容は、宇梶が身を持って体験したからこその説得力だ。
現在54歳。誰もまねできない経歴を持つ、個性派俳優の真実の姿をあぶり出した今回のインタビュー。最後に宇梶が恥ずかしそうに語ってくれたのは、かつて道半ばで捨てた野球への夢…。かなえばとても素敵なこと、と宇梶も小朝も満面の笑みを浮かべる。そんな宇梶の夢の内容とは?

2月5日(日)
ゲスト:近藤文夫(てんぷら近藤 店主)

ゲスト×インタビュアー
近藤文夫(てんぷら近藤 店主)×松岡修造(スポーツキャスター)

衣をつけて揚げる、この料理に半世紀以上向き合ってきた近藤。天ぷらは魚介を揚げる料理だと考えられていた時代に、近藤は野菜を取り入れ新ジャンルを生み出した。近藤が腕を振るう店は「ミシュランガイド」で9年連続“星”を獲得。客足は途絶えることなく、海外でも注目され、1か月先まで予約で埋まっている。なぜ近藤のてんぷらを求め客が集まるのか? また、近藤のこだわる天ぷらの極意とは? インタビュアーは、スポーツキャスター松岡修造が務める。
まず、自ら足を運び仕入れてきた旬の食材を、松岡に振る舞う近藤。エビ、キス、白子…などを、次々に目の前で揚げてゆく。あめ細工のようなニンジンのかき揚げ、サツマイモは厚さ約7cmの塊をじっくりと揚げてゆく。名人技ともいえる天ぷらの揚げ方、その極意とコツとは?
1947年、両親と4つ離れた兄の4人家族に生まれる。6歳の時に父が他界し、母は駄菓子屋と内職の仕事をして一家を支えていた。近藤は苦労する母を助けるために、毎朝まきでご飯炊きをしていたという。
18歳の時、東京御茶ノ水の「山の上ホテル」で和食の修行を開始。半年後に天ぷらと出会う。23歳で料理長に任命された近藤は、独学で野菜を天ぷらに取り入れることを決意。しかし当時は、魚介が支流の時代…。野菜の天ぷらを受け入れてくれる客はいなかった。
近藤の天ぷらは、作家・池波正太郎や写真家・土門拳などの文化人に愛されてきた。中でも池波正太郎は、頭があがらない存在だという。池波にクビを覚悟するほど、失礼なことをしたという、当時のエピソードとは? さらに、池波から教わったという料理の精神とは?
1991年に独立し、「てんぷら近藤」を開店。のれんや仕事着には池波の文字を使用した。
2014年、オバマ元大統領が来日した際には天ぷらを揚げてほしいと頼まれるが、「先に予約してくれたお客さんを断ることはできない」と断ったエピソードも。そこには客の本当の笑顔を見たいという近藤の信念があった。
今年70歳を迎える近藤の夢は、「天ぷらを世界中に広めること」。自身の後継者について語った近藤、そこには弟子に対する思いにあふれていた。