ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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1月21日(土)
ゲスト:西田健(俳優)

ゲスト×インタビュアー
西田健(俳優)×吉永みち子(作家)

俳優・西田健。「太陽にほえろ!」「特捜最前線」「Gメン'75」など、昭和を代表する刑事ドラマに数多く出演、個性派俳優として確固たる地位を築いてきた。俳優としての在り方を模索し続けてきた西田の人生とは?
太平洋戦争の末期、裕福な資産家の三男として生まれる。しかし、敗戦とともに全ての家財を失い、貧しい生活を送ることになった。そんな少年期、唯一の楽しみは二人の兄に連れられて見に行く映画だった。
俳優としてキャリアをスタートさせたのは、演劇の世界。演出家・芥川比呂志氏が中心となって活動していた劇団雲に入団するが、与えられるのは端役ばかり。この時、西田が活路を見出したのは、テレビドラマだった。「帰ってきたウルトラマン」で怪獣から地球を守るMATの隊員を演じ、人気を博す。今でこそ個性派俳優として知られる西田だが、デビュー当時は正統派の二枚目路線だった。
30歳のころ、西田に転機が訪れる。二枚目俳優のイメージを捨て去り、悪役ばかりを選んで演じるようになったのだ。持ち前の目力の強さと風貌で個性的な悪役像を生み出すと、サスペンスドラマに欠かせない役者としてのポジションを確立した。しかし、その裏で俳優としての在り方に悩み続けたという。制作者から、そして視聴者から高い評価を受けていたにもかかわらず、西田は何を悩み、苦しんでいたのか?
再び大きな転機が訪れたのは、2004年。還暦を前に西田はそれまで着用していたかつらを外してカメラの前に立つ。それまで築き上げてきたイメージを台無しにしかねない大きな決断だった。その後、個性派俳優としてさらに演技の幅を広げることに成功し、現在放送中のドラマ「科捜研の女」でも県警本部長役を時にシリアスに、時にコミカルに演じている。
“ジグザグの俳優人生”西田は自らそう振り返る。時代によってそのイメージを変化させてきた決断の背景には何があったのか? 模索し続けた俳優像とは? 作家・吉永みち子がその俳優人生の裏側に迫る!

1月22日(日)
ゲスト:チェリッシュ(歌手)

ゲスト×インタビュアー
チェリッシュ(歌手)×森下康樹(編集者)

歌手・チェリッシュ。松崎好孝と悦子の夫婦デュオとして活動し、デビュー46年、結婚生活40年を迎えた今も、年間130ものステージをこなしている。
1949年、名古屋市で生まれた好孝。高校時代に通い始めたギター教室のレッスンで、気の合う仲間3人とフォークグループ「チェリッシュ」を結成する。
一方、1951年生まれの悦子も同じ愛知県の出身。2人が初めて出会ったのは、1968年。好孝が悦子の眠れる才能を見抜き、チェリッシュのメンバーに加えた。
女性ボーカルの加入で、5人組となったチェリッシュは、1971年「全国フォーク音楽祭」で入賞を果たす。レコード会社からプロデビューの誘いが舞い込み、「なのにあなたは京都にゆくの」でデビュー。好きな音楽で食べていける、と思いきや、好孝はレコード会社の洗礼を受け意気消沈…。さらにデビュー直後、松崎以外の男性メンバーはチェリッシュを脱退してしまう。5人組から男女デュオへ…この時、一体何があったのか?
その後、「ひまわりの小径」で男女デュオとしてスタートを切った2年目、「てんとう虫のサンバ」がミリオンセラーを記録。一躍大ブレークし、NHK紅白歌合戦にも出場を果たした。しかし、「てんとう虫のサンバ」は発売に至るまで、好孝とレコード会社との間でひと騒動あったのだという。当時のエピソードを、好孝が赤裸々に語る。
1977年に、結婚。誰もがうらやむ、友達のような夫婦関係“ニューファミリー”の象徴としてもてはやされてきた2人だが、実際は好孝の亭主関白ぶりに悦子はたびたび度肝を抜かされたという。それでも今年、結婚生活40年。コンサートを開けば大盛況で、プライベートでは孫にも恵まれた。たくさんの幸せを手にしたチェリッシュ、公私共にパートナーとして歩んできた、2人の夫婦円満の秘訣(ひけつ)とは? 編集者・森下康樹が鋭く迫る!