ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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12月24日(土)
ゲスト:清水ミチコ(タレント)

ゲスト×インタビュアー
清水ミチコ(タレント)×小島慶子(タレント、エッセイスト)

狙った獲物を独特の視点で切り取るモノマネ芸を続け、今年芸能生活30周年。清水は、“誰にもマネすることができないポジション”を確立した。テレビやラジオ、エッセーと幅広い分野で活躍し、大河ドラマ「真田丸」では、豊臣秀吉によって強制的に夫と別れさせられ、44歳で徳川家康に嫁がされた秀吉の妹・旭姫を演じた。旭姫のやるせない胸のうちを、ほぼせりふなしの仏頂面のみで演じ切った2分半は、世間を大いにザワつかせた。
昨年は、日本武道館で自身初となる単独ライブを開催。演芸畑からは春風亭小朝、松本人志に次ぐ、3人目の快挙となった。しかし、当の本人の素顔は謎に満ちたまま。今回は、その半生を存分に語ってもらう。
インタビューの舞台は、東京・三軒茶屋にある隠れ家的レストラン。清水が女性芸人会を開く時に使用する御用達の店だ。
1960年、岐阜県高山市生まれ。実家は、お菓子やたばこなどを売る商店を営んでいた。得意なことは、ピアノ。小学1年生の時には、ブラウン管から流れるアニメの主題歌やコマーシャルソングを聞いては独学で弾いていた。あまり明るい性格ではなかったという少女が、お笑いに目覚めたのは小学5年生の時。“クラスの人気者を笑わせたい!”そんなささいな気持ちからだった。
高校卒業後、上京した清水は、家政科の短大に入学。ごく普通の女子大生として過ごしていたが、アルバイト先のオーナーがお笑い好きの清水にラジオ局のディレクターを紹介してくれた。自ら考えたコントをカセットテープに吹き込み、ラジオ局に送付すると、それが気に入られ、ラジオ番組の構成作家を務めることになる。
非凡な才能は、瞬く間に開花し、ラジオ番組に出演するようになった清水は、1986年、26歳の時、ライブデビューを果たす。しかし、今と違って女性芸人は珍しい存在。デビューライブにいた観客は、わずか数十人だった。しかし、その中に清水の芸能活動を、後押ししてくれる人物がいた。それが、永六輔だった。この時、芸能界の大御所・永六輔からかけられた一言とは?
デビューから1年。タモリ司会の国民的番組「笑っていいとも」のレギュラー出演のオファーが舞い込む。ところが、この時、清水のお腹には赤ちゃんがいた。半年間の産休を経て、再び芸能界に戻った清水にさらなる追い風が吹く。1988年、28歳の時、今や伝説的バラエティー番組となった「夢で逢えたら」に出演。ダウンタウンやウッチャンナンチャン、野沢直子と新進気鋭の芸人が繰り広げるコントは一世を風靡(ふうび)した。ファン投票で1番人気の「伊集院みどり」という当たり役を獲得したが、この時、清水は初めての挫折を味わうこととなる。“暗黒の時代”だったと振り返る、当時の心境とは?
清水のモノマネの源泉、それは“好きな人になりたいから”。千差万別のモノマネ芸の極意とは? 一方で、私生活では一児の母。芸能と家庭、清水流の家庭生活にも、鋭く切り込んでいく。
インタビュアーは、タレント、エッセイストの小島慶子。同じ母として、妻として、芸能界で生き抜いてきた清水ミチコのパワーの源に迫っていく。

12月25日(日)
ゲスト:花總まり(女優)

ゲスト×インタビュアー
花總まり(女優)×ヤン ヨンヒ(映画監督)

ミュージカルを中心に活躍する女優・花總まり。ミュージカル専門誌が発表するミュージカル・ベストテンの女優部門で、昨年と今年の2年連続1位に選ばれた、日本のミュージカル界を代表するトップ女優だ。特に、今年花總が出演したミュージカル「エリザベート」の人気は絶大で、“日本で一番チケットが取れないミュージカル”ともいわれている。これまで、舞台を中心に活躍してきたため、テレビ出演はほとんどない彼女の、秘密のベールに包まれた素顔が今、明かされる!
5歳からバイオリン、小学校からバレエを習い始め、1991年、第77期生として宝塚歌劇団に入団。1994年「風と共に去りぬ」新人公演では、娘役でありながら主演スカーレット・オハラを演じ、同年、雪組トップ娘役に就任。退団するまで、12年3カ月もの間、トップ娘役を務め上げた。102年の歴史がある宝塚の中でも異例のことで、“百年に一人のトップ娘役”と評された。
花總を一躍有名にさせた作品がある。それが、ミュージカル「エリザベート」。ヨーロッパ随一の美女とうたわれた皇后・エリザベートの波乱に満ちた生涯を描いた物語だ。1996年、日本で初めて宝塚がこの作品を上演した際、エリザベート役に挑んだのが、当時22歳の花總だった。そして、世界最年少で務めたエリザベート役から20年を経た今年、花總は再び東宝ミュージカルで、この役に臨むことになる。この演技が評価され、今年、菊田一夫演劇賞で、個人としては史上最年少で大賞を受賞した。
しかし、順風満帆に見える舞台人生の裏には、大きな転機も…。2006年、宝塚歌劇団を惜しまれつつ退団すると、4年間、花總が舞台に立つことはなかった。2010年「ディートリッヒ 生きた 愛した 永遠に」のエディット・ピアフ役を皮切りに、女優に復帰。現在は、数々のミュージカル作品に出演している。再び女優に戻ったきっかけ、さらに、それを後押ししたものとは?
花總にとって、今年はデビュー25周年、宝塚歌劇団退団から10年という節目の年。日本を代表するミュージカル女優・花總まりの素顔、そしてそのかれんな容姿から“奇跡の40代”とも呼ばれる彼女の魅力に、映画監督のヤン ヨンヒが迫る。