ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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12月10日(土)
ゲスト:遠藤憲一(俳優)

ゲスト×インタビュアー
遠藤憲一(俳優)×舘野晴彦(編集者)

高校を中退しアルバイト生活を送っていたある日、電車の中で、演劇の広告を見て、その世界に足を踏み入れる。その後、仲代達矢が主宰する「無名塾」の試験を受け、合格。当時800人が受験して、5人しか合格しないという狭き門を見事に通過したのだ。しかし、集団生活が苦手だった遠藤は、たった10日で辞めてしまう。
再びアルバイトの生活に戻った遠藤は、ある日たまたま見た「劇団 昴」の二人芝居「動物園物語」に自身の人生を重ね、感動。「この芝居がしたい」と、かつて所属していた劇団の先輩と2人で「動物園物語」を1日限定で演じた。その芝居を見ていた事務所の社長に声を掛けられ、テレビの世界に進むことに。
1983年、NHK「壬生の恋歌」でテレビデビュー。しかし、その後はオーディションを受けるも落ち続けた。その数、50回以上。さらに、鋭い目つきとそのこわもての風貌から、回ってくるのは、ヤクザや殺し屋、殺される役ばかり…。しかし、テレビの世界で演じることにのめり込んでいた遠藤は、25歳の時アルバイトを辞め、役者1本で生きていくことを決意する。そんな苦しい下積み時代に出会ったのが、妻でマネジャーの昌子さんだった。そして、29歳で昌子さんと結婚。その後、少しずつ仕事が軌道に乗っていく。俳優だけでなくCMにも出演、テレビ番組のナレーションには、これまで700本以上の作品に携わってきた。最近では、三枚目やお茶目な役など、かつての遠藤には想像もできない役も率先して演じている。また、11月公開の映画では、1人の主人公の40年間を熱演した。さまざまな役柄を、遠藤はどのように演じ分けているのか? 今や日本を代表する名バイプレイヤーとなった遠藤の原点とは? また、今年55歳の遠藤がこれからの役者人生で目指すものとは? 
インタビューの場所は、東京・麹町にある「たけとんぼ」。遠藤が20年以上通う、行きつけの居酒屋だ。“魔法のスープ”と呼ばれるだしを使ったちゃんこ鍋をつつきながら、いつものリラックスした雰囲気の中、俳優・遠藤憲一は何を語るのか?

12月11日(日)
ゲスト:鈴木宗男(新党大地 代表)

ゲスト×インタビュアー
鈴木宗男(新党大地 代表)×末延吉正(ジャーナリスト)

1948年1月、北海道足寄町(あしょろちょう)大誉地(およち)に生まれる。冬はマイナス20度以下の寒さが1カ月以上続くような厳しい環境、そして暮らしは貧しかった。この土地を少しでもよくしたいと、将来政治家になろうと決めたのは、小学生のころ。畑作農家だった父親は、一番いい馬を売って東京の大学へと行かせてくれたという。
拓殖大学在学中より父親が後援会に入っていた衆議院議員・中川一郎の秘書を務める。最初の3年間は365日休まず働き、NHKが「日本一働く秘書」と特集を組んだほどだった。
1983年、前年に自民党総裁選挙に出馬し最下位に終わった中川一郎が自殺。その後、鈴木宗男は中川一郎の長男・昭一と同じ選挙区で立候補し、骨肉の争いといわれた選挙戦で昭一と共に初当選を果たす。
42歳で外務政務次官、44歳で自民党副幹事長と頭角を現し、49歳のときに初入閣、北海道・沖縄開発庁長官に就任した。閣僚として初めて北方四島を訪問するなど、北方領土問題の解決にまい進していく。
しかし、2002年、54歳の時に、外務省をめぐる疑惑事件に巻き込まれ自民党を離党。同年、あっせん・収賄容疑で逮捕・勾留された。検察の取り調べに対し自説を曲げず、勾留期間は戦後最長の437日となった。
さらに、55歳で再起をかけた衆院選の直前に胃がんが発覚。転移の恐れもあり、手術のため不出馬となった。そして2005年9月の総選挙に向け、鈴木宗男は盟友・松山千春のバックアップを受けて「新党大地」を旗揚げ。以後、2回の当選を果たす。
62歳で実刑が確定し、収監されるも、妻や娘からの手紙を心の支えに刑期を過ごした。そして68歳となった今、12月15日に山口県で行われる日露首脳会談を前に、再び鈴木宗男に注目が集まっている。誰よりも日露交渉を知るキーパーソンは、北方領土問題の行く末をどう見据えているのか?
国家の要職を歴任した立場からドン底に突き落とされ、それでもはい上がってきた不屈の男・鈴木宗男の人生に、ジャーナリストの末延吉正が迫る!