ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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10月24日(土) ゲスト:松田美由紀(女優)

女優・松田美由紀。
17歳で女優デビュー。その後、20歳で俳優の松田優作と結婚。3人の子をもうけるも、結婚生活わずか6年で夫がガンで他界。その後は母一人で子育てに奮闘しながら女優業を続け、最近では女優に止まらず、写真家や映像監督にまで活動の場を広げた。その行動力の源に迫まる。

東京阿佐ヶ谷の洋品店の次女として生まれた松田美由紀。ざっくばらんに、思ったことを何でも言う性格は、母親の影響が大きいという。いったいどんな影響を受けたのか?

3人の子育てに奮闘した、その子育て論もとてもユニークだ。お金に困ってた時に、通帳を子供たちに見せ、一緒に、お金がないことをポジティブに考え楽しんだというのだ。その驚きの楽しみ方とは。

松田美由紀が考える自分の人生は「一人旅」。人生は一人で旅して、途中で松田優作に会い、居心地がいいから一緒にいて、子供ができて、また一人になって…。一人旅の中にいくつもの人生があるのだそうだ。

最新作の映画「ボクは坊さん。」では、幼稚園以来、初めて髪をばっさり切った。髪を切ったことで、いろんな事から自由になったという。
女優以外に写真家、映像監督と活躍の場を広げ、さらに新しくやりたいことも…。女優・松田美由紀の素顔に迫る。

10月25日(日) ゲスト:魚谷雅彦(資生堂 代表取締役社長)

資生堂代表取締役社長・魚谷雅彦。
143年の歴史を誇る老舗企業「資生堂」において、創業以来初となる外部から招聘されたプロ経営者・魚谷。これまでに独自のマーケティング論を武器にし「日本コカ・コーラ」「NTTドコモ」など巨大企業の改革挑み、成果を挙げてきた。

"改革は、現場との会話から"一貫して現場主義を貫くリーダー論の根幹とは、何なのか?その答えの一端は、魚谷が成し遂げてきた数々の企業再生の歩みに隠されていた。現在、海外ブランドの台頭などにより創業以来の大きな決断に立たされている「資生堂」。この大改革に挑む魚谷の、知られざる素顔と野望に、「AERA」編集長・浜田敬子が鋭く切り込む。

今から143年前の1872年―。
東京・銀座に日本初の洋風調剤薬局として誕生した「資生堂」。1916年には、化粧品事業に本格的に転向。技術力と時代の先端をいく広告デザインで"日本一の化粧品メーカー"という地位を100年以上にわたり守り抜いてきた。
そんな老舗企業に今、創業以来ともいえる危機が訪れている。外資系メーカーや異業種からの参入で競争が激化。化粧品のメイン市場は、専門店からドラッグストアやインターネットの通信販売に移行し始め、「資生堂」の国内シェアを脅かす事態になっている。その状況を打破すべく、白羽の矢が立ったのが魚谷雅彦だ。

昨年の社長就任から、約3万5千人の社員と直接会ったという魚谷。今も社員に出会えば、気さくに声をかけ話し込む。これが大企業のマーケティング改革を推し進めてきた魚谷の信念…「現場発のマーケティング」。
語られたのは、そのルーツ…。大学を卒業しサラリーマン人生を始めた「ライオン」時代のある出来事だった。

さらに一躍、経済界に「魚谷雅彦」の名を知らしめた「日本コカ・コーラ」での改革。"世界一のブランド"と評される世界有数の企業で魚谷に課されたのは、当時低迷を続けていた缶コーヒーのシェア回復だった。低迷の原因は社員たちが声を上げられない巨大企業故の背景…、様々な"しがらみ"の存在。魚谷は、如何にして、この難題を乗り越えたのか?その驚くべき秘策が明かされる。

そして、現在取り組む「資生堂」改革。魚谷が掲げたのは「動け、資生堂」。ブランドの多様化、市場の変化…。そして、客の選択肢が広がった今だからこそ問われる"魚谷マーケティング"の神髄。その覚悟、そして展望とは。