ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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3月28日(土)ゲスト:鳥越俊太郎

ジャーナリスト、鳥越俊太郎。1965年、毎日新聞記者としてキャリアをスタートさせ、その後、「サンデー毎日」編集長、テレビキャスターなど、時代と共に活躍の場を変えながら、ニュースを伝え続けてきた。度重なるガンの手術に耐えながらも常に現場にこだわり、取材を続ける75年の人生を振り返りながら、常に弱者に目を向けてきた鳥越流ジャーナリズムの原点など、知られざるその素顔に迫る。

収録場所は、鳥越の古巣、毎日新聞東京本社が入るビルの9階のレストラン。今も足繁く通うという、鳥越ゆかりの店で行われた。 実はこの日は偶然にも鳥越の75歳の誕生日。人生を振り返る、またとない日となった。

京都帝国大学で合唱部に在籍していた父が、学外から参加していた母を見初め、結婚、1940年3月13日に福岡県で生まれた。 父は住友本社のエリートサラリーマンだったが、強迫神経症にとらわれ、鳥越が生まれた時、同じ病院の精神科に入院していたという。父同様、子供の頃から鳥越も神経が細くて気が弱く、授業で教科書を読まされたりすると、足も声も震えていた、という意外な一面を明かす。

鳥越が、その気の弱さ、神経の細かさを克服できたのは、ジャーナリストという仕事についたからだった。毎日新聞に入社後、大阪支局時代は社会部に籍を置き、いわゆる事件記者を担当。更にサンデー毎日に異動後は、イラクとの戦争が激化するイラン特派員となり、他の日本人記者が全員取材を止める中、戦地に赴き取材を続けるなど、まさに死と隣り合わせの日々を送ってきた。

何故命をかけてまで取材をするのか?鳥越にとってジャーナリストとはどんな仕事なのか?またジャーナリズムとはどうあるべきなのか?キャリア50年、今だから話せる取材の裏話や失敗談、秘話などを聞きながら、鳥越のジャーナリスト人生を振り返る。

戦地取材という死線を何度もくぐり抜けてきた鳥越に、新たな危機が訪れる。それは2005年に発覚した大腸ガンだった。だが鳥越は、生放送の番組で自らがガンであることを告白し、自らを被写体にして闘病の経緯を伝えるという、前代未聞の行動に出る。実はガンだと分かったことはショックではあったが、同時にチャンスだとも思ったという。患者と記者、二つの視点から見る「ガンになる」ということは?

今回のインタビュアーは春風亭小朝。鳥越からの指名だった。気骨溢れる75歳のジャーナリストの素顔を、小朝が紐解いていく。

3月29日(日)ゲスト:大西洋

三越伊勢丹ホールディングス代表取締役社長、大西洋(おおにし ひろし)。不況により、物が売れないといわれている最中、伊勢丹新宿本店だけは、常に多くの客が集まり、売上をあげている。その裏側には、一体どんな秘密が隠されているのか?「百貨店のカリスマ」大西洋が考える『現場力』と『ニューリーダー論』。そして、『魅力的な店作りの秘密』と、『物を売る極意』とは?「AERA」編集長、浜田敬子が迫る。

インタビューの舞台は、日本の百貨店で、一、二の売上と入店客数を誇っている『伊勢丹新宿本店』。リーマンショック後のデフレが続く中、業界の常識を覆した大規模リモデルを続けている伊勢丹。3月4日には、5階リビングフロア、6階ベビー子供フロアが新しくなった。大西社長自らが、新フロアに浜田を案内するところからインタビューは始まる。

現在百貨店業界で、一人勝ちとも称される伊勢丹で社長を務める大西は、今や伝説となった日本初の男性デパート『メンズ館』の立ち上げの成功や、経営統合する老舗デパート『三越』へ出向して手腕をふるい、〝百貨店のカリスマ〟と呼ばれている。そんな反面、腰の低さ、人柄の良さから、〝社長らしくない社長〟とも評されている。その意外な一面とは…。

大西の原点は、少年時代、年に数回だけ許された贅沢、家族で百貨店を訪れ、レストランで食事をする事だった。そんな家族との幸せの記憶から、接客に興味を持ち、伊勢丹に入社。紳士服売場に配属されたが、最初は全く売る事ができなかった。そんな新人時代を変えた、先輩女性販売員の熱血指導とは?

1990年代に新宿にデパートが乱立した「百貨店戦争」を勝ち抜くために、伊勢丹が行ったお客様目線重視の〝お買い場革命〟の舞台裏が明かされる。そして、「三越」への出向で、歴史も文化も違う幹部や社員達をまとめあげるためにとった大西のある作戦とは?

現場で叩きあげられてきた大西は、今なお、自ら店頭で接客・販売を行い、社員達を引っ張り続けている。そんな快進撃を支える〝百貨店のカリスマ〟が、「会社を変える極意」を熱く語る。