ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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1月31日(土)ゲスト:落合務

1980年代、バブル真っ只中、日本にイタ飯ブームを巻き起こした落合務シェフ。1997年には、自身初となる店「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」を銀座にオープン。「予約の取れない店」の流行語を生み出し、20年近く経つ今も行列が途絶えない。10年間店を続けられるのは、100軒のうち、わずか 数軒という厳しい世界。にもかかわらず、20年近く人気店でいられるのは、一体なぜなのか? 「予約が取れずに、これまで行きたくても行けなかった」という、インタビュアー、ヤン・ヨンヒが落合シェフのこだわりに満ちた哲学に迫る。

オープン以来、「予約の取れない店」の代名詞でもある落合の店。人気のヒミツは、"肩のこらない、気軽に頂ける本格派イタリア料理"。リーズナブルかつ客を裏切らない味。さらに、「開店当時と値段は変えない」「同じ味を出し続ける」「不安と緊張感を常に抱く」と、落合ならではのブレずにこだわり続けている点にあった。 一方で、時代を超えて愛され続ける名匠のイタリアンのレシピを惜しむことなく、料理本やネットで公開。果たして、この真意は?

足立区出身。高校1年の時、高校を辞める口実として「料理人になりたい!」と、父に直談判したのが、料理の世界へ入ったきっかけ。中退後、日本橋にあるレストランに就職。実は当初、志していたのは"フランス料理のシェフ"だったという。

イタリア料理に出会ったのは、30歳の時。落合いわく、「フランス料理に比べセンスがなく、家庭でも作れるその味」に最初は幻滅したという。それでも落合がイタリア料理を日本に広めようと思ったのは、一体なぜなのか? 一方、日本の食を取り巻く保守的な風習を打破するのは、決して一筋縄ではいかない"いばらの道"だった。それでも日本にイタリア料理が根付いたワケとは?

現在、67歳。イタリア料理の先駆者は、近年のイタリアンブームをどう見ているのか?そして、落合が抱く、今後の展望とは!?

2月1日(日)ゲスト:中村獅童

歌舞伎役者・中村獅童に対峙したのは、落語家・春風亭小朝。ともに伝統芸能の世界に生き、その存在感を存分に示す二人。小朝は、これまで聞いたことのないようなディープな獅童の話を次々と引き出していった…。

歌舞伎の名門、小川家の長男として生まれ、祖父は昭和の名女形と謳われた三世・中村時蔵、叔父に映画俳優・萬屋錦之介、中村嘉津雄。

8歳で初舞台を踏み、二代目中村獅童を襲名。 順風満帆な役者人生が約束されていたように思えるが、中村獅童が歌舞伎界で歩んで来た道は、山あり谷あり…、決して平坦なものではなかった。

父は獅童が生まれる遥か昔に、とある出来事で歌舞伎界を去り、きわめて重要な"後ろ盾"という存在を獅童は持たずに歌舞伎の世界で生きていくことになる。 成長していくにつれ、味わう苦難…。切れそうになる歌舞伎への気持ちを中村獅童はどう繋いでいったのか?そこには父と母、歌舞伎界で獅童の才能に惹かれた諸先輩方との熱いエピソードがたくさん詰まっていた。

そして、獅童が語ったのは、歌舞伎への熱い想い。 2002年に公開された映画「ピンポン」で一躍脚光を浴び、映画やドラマで活躍してきた中村獅童に対し、多くの人々が抱くのは歌舞伎役者よりも俳優のイメージかもしれない。しかし、インタビューで真剣に語る熱く重い言葉を聞くと、"中村獅童は歌舞伎役者だ"ということを再認識させられるはずだ。

今回のインタビュー会場となった銀座「銀之塔」は、歌舞伎座裏にあるシチューの名店。シチューを味わいながらも続くインタビュー…。 そこで…獅童の口から出た爆弾発言とは?