ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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1月24日(土)ゲスト:半藤一利

作家・半藤一利。代表作『日本のいちばん長い日』は映画化もされ、刊行後ほぼ半世紀を経たいまなお読み継がれるロングセラー。 少年時代に戦争の悲惨さを体験してきた自らの経験から「戦争とは何だったのか?」、「なぜ戦争は起こったのか?」と問い続け、わかりやすく昭和という時代を紐解いた「昭和史」がベストセラーとなったほか、これまでに50冊以上の著作を発表し、歴史探偵とも呼ばれる作家・半藤一利に、戦後生まれの小島慶子が迫る。

1930年、東京・向島の生まれ。少年時代は近所でも有名な悪ガキとして過ごすが、15歳の時、その後の人生に大きな影響を及ぼす出来事が起こる。東京大空襲だ。焼夷弾の嵐と燃え盛る炎の中を逃げ惑いながらも、運良く生き延びた半藤が、自宅があった場所に戻って見た光景とは? この時、焼きつくされた東京の街を目の当たりにし「戦争をしない国をつくりたい」という使命感を抱いたという半藤だが、その経験を語るのは終戦から65年も経ってからだった。胸の奥にしまい込んでいた、忘れる事のできない戦争の悲惨な記憶を、80歳になって「15歳の東京大空襲」という1冊の本に綴った、その理由とは?

今では"歴史探偵"とも呼ばれる半藤だが、歴史を学ぶきっかけとなったのは、文芸春秋の編集者時代に軍事ジャーナリスト・伊藤正徳さんと出会ったことだったという。当時、軍人たちへの取材で教わった、歴史の裏側に潜む真実の見極め方とは?

そして半藤が「昭和史を再確認できた」という貴重な資料となったのが、2014年に完成した「昭和天皇実録」。昭和天皇の87年に及ぶ激動の生涯を記したその記録から、半藤が発見した新たな事実についても語る。

歴史を学び一歩踏み込んで考えることの重要性と、平和とは戦争をしないことと訴え続ける"昭和の語り部"半藤一利。終戦から70年を迎えた今年、戦争を知る世代が少なくなる中、過去の過ちから何を学び、その教訓を今後の日本にどう活かすのか?戦争を知らない世代を代表して小島慶子が迫る。

1月25日(日)ゲスト:陳建一

陳建一。今では日本で馴染みの深くなった麻婆豆腐、担担麺、回鍋肉、エビチリなどの四川料理。これを日本に広めた陳建民の息子として育った。現在は14店舗に拡大した四川飯店グループのオーナーシェフを務める。「中華の鉄人」と呼ばれ中華料理の普及、後進の育成に励む一方で、鍋を振り続けるその姿を追う。

陳は幼少時代から父・建民の背中を見て育ってきた。日本で知られる四川料理は実は四川省には存在しない料理であった。父・建民が日本の材料で作り、日本人の口に合う様にアレンジしたオリジナル料理だという。放浪癖があったという父・建民の存在を赤裸々に語る。そこには父を支え続ける母の姿があった。

大学卒業後に、父の元で本格的に料理修行に励む事となった建一。しかし、厳しく指導されるどころか、父・建民は先輩たちを出し抜き、建一に鍋を振らせようとしたという。建一はそれに危機感を覚え、修行をさせてほしいと訴えたという。そして先輩達たちと共に、一から修行を行っていった。当時を振り返ってもあの時の決断は正しかったという。その意図を語る。

1990年に父・建民が亡くなり、34歳の若さで2代目四川飯店代表の重責を担う事に。父の味を守りながら新たな方針を取り入れ、四川飯店グループの拡大に努めていった。そこには従業員を守るため、そして四川料理を守るための想いがあった。

1993年、テレビ番組「料理の鉄人」に出演。出演によって料理の腕が磨かれると共に、その名が世に知れ渡り四川飯店が大繁盛したという。しかし陳には危機感があった。その本心とは?そして陳建一の記憶に残る、ある勝負の舞台裏を語る。そして、番組降板の申し出をしたとき、親友の一言が陳を救ったという。当時の想いを赤裸々に語る。

息子、陳建太郎が四川飯店の3代目として伝統を引き継いでいる。しかし3代目は本当の真価が問われると陳建一は言う。料理の腕を磨き続ける建太郎に、建一はどうしても伝えたい事があった。そこには父・建民と建一の絆がつなぐある想いがあった。 

陳建一自ら鍋を振るい、麻婆豆腐の作り方を紹介する場面も!