ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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11月23日(日)ゲスト:高山良二

陸上自衛隊を定年退官後55歳でカンボジアに渡り、地雷処理活動を続けている高山良二。 それまでの常識をひっくり返す方法で地雷を処理し、同時に村を復興させる。「一石二鳥」と言われるそのやり方は、世界から「紛争地の理想の戦後復興」と賞賛されている。 現在67歳、「今が人生の本番」だという高山を突き動かしているモノとは何か?作家・吉永みち子が迫る。

現在、高山が住むカンボジアのタサエン村は、かつてのカンボジア内戦最後の激戦地。その地に埋められたおびただしい数の地雷は、村人の体の一部を奪い、村の復興への最大の障害。持参した地雷の模型を取り出し説明を始める高山。 様々な種類がある地雷は実に厄介なものだった。

1947年、愛媛県の農家の長男として生まれた高山は就職難だった高校卒業後、陸上自衛隊に入った。45歳の時、そんな高山の人生を変える出来事が起きた。陸上自衛隊初の海外派遣、カンボジアPKO。その賛否を巡り国を二分する大論争となったこのプロジェクトで、高山は現地へ。そこで目にしたものは、日本とはあまりにも違う現実の世界だった。初の海外派遣で高山が感じた屈辱とは…。

定年退官の3日後。高山は、日本を出発、カンボジアの村へ。4年後には、世界初となる「地域住民参加型の地雷処理活動」を開始。村人達を根気強く訓練し地雷探知員として育て上げた。しかし活動が軌道に乗り始めた矢先、悔やんでも悔やみきれない事故が起きる。高山を失意のどん底に突き落とした事故とは?

事故をきっかけに高山は地雷処理と同時にある活動を始めた。学校の建設や地元の焼酎造りなど、復興へ向けたプロジェクト。それは今、大きく花開き始めている。その甲斐あって、村の人口が4000人から7000人にまで増えたという。高山の活動と成功の秘訣を聞く。

収入ゼロでカンボジアの復興にのめり込む高山。そんな夫を優しく見守り続けていた妻の里枝さんが3年前に脳腫瘍で倒れた。一時は意識不明になるほど危険な状態だった妻のため、年に4か月は日本で過ごすことにした。そんな高山が始めた新たな活動とは…。