ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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11月1日(土)ゲスト:都倉俊一

「UFO」・「ひと夏の経験」・「どうにもとまらない」などの昭和の歌謡シーンにその名を刻んだ多くの曲を手がけ、メディアの創成期ともいわれる時代を作り上げてきた稀代の作曲家・都倉俊一。

作詞家・阿久悠ら仲間と共に、昭和歌謡界を築き上げてきた都倉。 伝説を作り上げた山口百恵の「人を引き付ける引力」、時代に新たな息吹を吹き込んだ山本リンダの「歌唱法と振付」、そして、70年代の熱狂の時代の集大成、日本中の子どもが歌って踊れたピンクレディ―の「理屈抜きに熱狂したヒット曲」など様々な歌手に曲を提供し育ててきた都倉だからこそ知る歌謡界の発展と真実とは?

"日本人が心の栄養を求めた時代"劇的な進化を遂げた華々しい歌謡界。そして豊かになったからこそ失った"熱狂"の芽。 作曲家デビューからわずか10数年で一気に日本の歌謡界を駆け抜け、新たな音楽シーンを作り上げた都倉俊一。 世界をまたにかけ、様々な音楽と触れ合ってきたからこそ見えてきた"熱狂"を失った日本の現在のエンターテインメントに必要なものとは?

高度経済成長期と相まって急激な変化が訪れた70年代の日本の歌謡シーンを一気に駆け抜けたヒットメーカー・都倉俊一は、あの熱狂の時代に何を想い、どのようにして山本リンダ、山口百恵、そしてピンクレディーを手掛けてきたのか? 生涯のほとんどを"音楽"と共に歩んできた都倉が語る"歌謡曲熱狂の時代"の復活、"ヒット曲"を作るために今の日本に必要なものなど、今も"夢"に向けて走り続ける稀代のヒットメーカーに、月刊「DRESS」編集長・山本由樹が迫る。

11月2日(日)ゲスト:福本清三

15歳で東映の大部屋俳優となり、以来50年以上もの間、「斬られ役」一筋に生きてきた福本清三、71歳。 今年6月から公開中の映画「太秦ライムライト」では、役者生活56年目にして初の主役。自身と同じく、ベテランの「斬られ役」を演じ、ファンタジア国際映画祭において、日本人初の最優秀主演男優賞を獲得した。 「5万回斬られた男」の異名を持つ福本に、映画監督のヤン・ヨンヒが迫る。

インタビュー場所は、東映京都撮影所の俳優会館内にある、殺陣の稽古場。福本がデビューした時から、腕を磨いてきた場所だ。

6人兄弟の5番目として、兵庫県の静かな漁村に生まれた福本。人前に出るのが苦手な内気な少年だったという。中学卒業後、親戚が営む京都の米屋に丁稚奉公。しかし、仕事が合わず悩んでいた所、東映に出入りしていた叔父に「撮影所で働かないか?」と誘われ、大部屋俳優となる。

時は、時代劇黄金期。週に1本ペースで映画が製作され、映画館には年間 11億人以上が押し寄せた時代だった。恥ずかしがり屋で、役者を志していたわけではない福本であったが、市川右太衛門や萬屋錦之介など、往年の銀幕スターの「斬られ役」を務めるうちに、「いかに無様に死ぬか?」というテーマを、真剣に追求するようになっていく。

福本の代名詞と言われる「海老反り」をはじめ、観る者を引きつける「斬られ方」は、どのようにして生まれたのか?そして、スターごとに違うという「斬り方」の特徴など、実際に時代劇で使われる刀を使いながら、福本が実演する。

そして、2003年、ハリウッドデビューを果たした「ラストサムライ」。 そこで福本は、思わぬ「NO」を突きつけられる。日本とハリウッドの間にある、「殺陣」の大きな違いとは?

さらに、福本の「斬られ役人生」を支え続けた妻や家族、減少の一途を辿る 「時代劇」への思いなどに切り込み、福本が斬られる「その一瞬」に、何が込められているのか、ヤン・ヨンヒが解き明かしていく!